火星の月の下で

日記がわり。

まんがが芸術か、と議論していた時代

かつてCOMがぐらこん予備校を誌上で初めて、いろいろなまんが予備軍の意見が公開されるようになったとき、通奏低音のように響いてきた議論があった。
「まんがは芸術か否か」
笑ってはいけない。みんなまじめだったのだ。
昭和40年代前半のことである。まだコミケもなければエロゲもない、もちろんインターネットもなかった時代だ。
背景として少しあげておいた方がいいのが、手塚マンガと岡田マンガ。
COM誌上で展開された『火の鳥』と、まさしく衝撃的デヴューと言っていい岡田史子の存在。
この2人ほどではなかったが、石森*1の『ファンタジーワールド』も幾分かそれに預かっていたかもしれないし、別誌ではあったが、カムイ伝なんかも意識の中にはあったかも知れない。
さらに、第4次悪書追放運動。
まんがに対するいわれなき不当な弾圧・・・。それに対する抗議としての意識も少しあったかもしれない。
ぐらこんに載った意見としてはそう多くはなかったかもしれないが、当時の関西支部、中部支部、そしてまだ関東支部が分離する前の東京支部等の集会に参加すると、たいていこういう意見がどこかで出ていた。
個人的には中部支部の人が一番過激で、関西支部が割と現実主義的だったような印象がしたが、それでもそういう意見はたいてい出ていたように思う。
今振り返ってみて「まんがが芸術か否か」という議論は、もうほとんど意味がなくなっていると言えるだろう。いや、多少はあるのかも知れないが、かつての純粋芸術としての姿を希求していたものとは違った、かなり間口のひろがった芸術だろう。
いまや、まんがはまんがであり、他の芸術分野、美術や彫刻、演劇なども飲み込んでしまうくらいの可能性と大きさを見せ始めている。
これは日本まんが文化の成熟であり、ジャンルとしての独立性が既にあるからだと思う。
もちろん、そこには下賎なもの、違法なものもあるだろうし、他の芸術分野では味わえないような高度な精神的高揚を満たしてくれるものもあるだろう。
つまり、まんがはまんがという一つの分野になり、たとえば文学の中に大衆小説があれば芸術至上主義小説がある、という具合に、その中に文化のジャンルを内包するにいたっているのである。
だが、昭和40年代前半、われわれはまだそこまで大きな、一つの文化としての多様性にまでは想いが至らなかった。つまり独立性の自覚がうすかったのだ。
こんなことを思うのも、Fateは文学じゃないエロゲを小説と比べるなという2つのコラムを読ませてもらって、ああ、まんがもそういう時代があったんだよなぁ、と思ってしまったからである。
もちろん時代が違うので、このお二方が書かれていることとは微妙に違うんだけど、いくばくかの共通項も感じてしまうのだ。
ジャンルとしての独立性、これが大きなうねりになると、それは他のジャンルと比べる必要がなくなる、そんな感覚。
ということで、日記のくせに、なんかえらそうなことを書いてしまったけど、迫害されるものは力があるから迫害されるのだ、みたいなことも考えてしまったのだ。
これって古くは漢文が教養だった時代の歌舞伎とか浮世絵、純文学が規範だった時代のまんが、そして今後のエロゲ・・・と重ねてしまったりするのだよ、と、例によってまとまらない文章でしめておこう。(笑)
それにしても鏡音リンが双子設定だったとは驚きだ。・・・なんのこっちゃ。

*1:正確には石ノ森と表記するべきなんだろうし、本人も生前、過去の石森時代についてもそう標記してほしかったようなことをどこかで読んだ気がするのだが・・・1読者としては、やはりこの時代の彼は「石森章太郎」であってほしい、という意味で、あえてこう書く。本人の御意思にはたぶん逆らってしまうだろうけど、やはり「石森」であってほしいのだ。