火星の月の下で

日記がわり。

△訃報

クレヨンしんちゃん:遺体は作者の臼井さんと確認
行方不明、ってニュウスが流れてたあたりでは、宗教関連の闇色のゴタゴタか?・・・くらいの認識だったんだが、どうやら最悪の展開になったようだ。
リエーターの訃報、というのは、どんな形であれたいへん残念なことだが、それでも大別して次の3パターンくらいでわきおこる感情が変わってくる。
・既に一線を退いている方の死。
もちろん残念だし悲しいのは間違いないのだが、むしろその方の生前の業績が、思い出とともに脳裏を駆け巡る。
好きな作風の人だったりすると、生前の業績に対して感謝の気持ちが沸き起こる。
・現役の方の死。
衝撃度は強い。悲しみと同時に絶望感がたつ。先の金田伊功さんのケースなんかがこれ。
・なにがしかの事故にまきこまれた場合。
上の現役の場合とかぶることが多いけど、これは悲憤慷慨、なんか怒りのようなものを感じる。
今回の事件の場合、まだ事件性については明確に報道されていないみたいだけど、3番目に該当しそうなだけに、かなり気分が暗くなるな。
リエーターの中でも漫画家なんてのは、対人接触の社会性がかなり閉鎖的になりやすいので、こういったことへの対処はかなり重要なんだろう。