火星の月の下で

日記がわり。

○神戸市民之歌

一番
楠公が 往年の 
苦戦のあとは みなと川 
流れの末は かわれども 
英霊いまも おわします 
フルヘ フルヘ 神戸市民
二番
平相国が 一代の 
豪華に築く 経ヶ島 
福原京の いにしえも 
輪田の泊まりは にぎわえり 
フルヘ フルヘ 神戸市民

1960年代頃、父が懐かしそうに歌っていたことのある、戦前の市民歌「神戸市民之歌」
耳で聞いたものなので、助詞などの部分的な間違い、もしくは記憶違いがあるかも知れないが、大筋は間違っていないと思う。
なんでこんなものを書き出したかというと、ネットで調べていても、どうもこの曲の正確なところが残っていないから。
曲自体は間違いなくあった、と暗示される記述はチラホラ散見されるものの、どうも正確なところがわからない。
父は当時、合唱団の指導、指揮をやっていたり、兵庫県下で数校の校歌を作っていたりと、そこそこ音楽活動をしていて、この曲も合唱用に編曲しなおそうとしていた、という経緯があった。
ただ当時の段階で調べてみても、資料が少なく、さらに、作曲者だったか作詞者だったかのどちらかが、当時の段階で既に「不明」「不詳」扱いだったようだ。
楽譜も残っていなかったように思う。メロディそのものは父から伝え聞いて、今でも口ずさめるのだけど。
たぶんネットではなく、紙資料を丹念に調べていけばある程度はわかるのかも知れないが、神戸から遠く離れた場所に住んでいる今となっては、それもむなしい。
上の歌詞、「大楠公」というのは、南北朝時代、「湊川の合戦」で戦死した「楠木正成」のこと、そして「平相国」というのは、きわめて短期間ではあったけど、日本の首都になっていた福原京を作った「平清盛」のこと。
どちらも旧市街で、大正から昭和にかけての神戸の中心地・新開地を軸にした地域で、今ではすっかり三宮が神戸の中心地になっているが、戦前はこういった旧市街が中心だったのである。
もっとも三宮以東を「新市街」と呼ぶ感覚は、もうなくなってしまっているようではあるけど。
また神社についても、神戸の歴史を語る神社としては、三韓征伐のときに神功皇后が創建したという伝承をもつ三社、生田神社、長田神社(もう一つは西宮の広田神社)の方が由緒ある古社で、京都市奈良市の歴史よりも古い。
しかし戦前は楠木正成を祀るこの湊川神社、通称「なんこうさん」の方が信仰を集めていたようで、あまり歴史には頓着しない神戸っ子の気質が垣間見れるところ。
神戸の歴史というと、よく言われる
「幕末はさびれた漁村だった神戸村に近代港湾が作られて歴史が始まる」
という一節もちょっとした注釈が必要で、当時の港湾の中心地は「兵庫」の方で、その隣にある神戸村はたしかに漁村だったけど、それをもってこんにちの神戸のルーツみたいに扱う、もしくは印象操作するのは間違ってるんだよな。(^_^;
台風で、ずっと家に引きこもりっきりが続くので(勤務校も台風休暇)たまにはこんな思い出っぽいのを書くのもいいだろう。