火星の月の下で

日記がわり。

○3分割

書庫である資料を捜しているんだが、どうにも見つからない。
ある地理書に写真が載っていて、そこに戦後のドイツで写されたとある看板の写真があって、それを発掘したいのだが、どうにも見つからない。
そんなわけで、証拠写真のないまま書く、という甚だなさけないことになるのだけど、発掘できるかどうかわからないので、とりあえず今の段階で書けることを書いておく。
「3分割だって?そんなの許せない」(写真につけられたタイトル)
戦後ドイツで建てられた看板で、たぶん50年代だろうと思う。
そこには、BRD(ドイツ連邦共和国、通称西独)、DDRドイツ民主共和国、通称東独)、そしてオーデル・ナイセ以東の、ポンメルン、シュレージェン、東プロイセンの3地域が分断線で描かれ、「Drei Geteilt?」と表記されていた。
なかなか印象的な写真で、それを見ると、旧DDR地区を東独と呼ぶことが、いかに神経を逆なですることかよくわかる。
言うまでもなくポンメルン、シュレージエンはドイツ固有の領土で、中世初期においては、東ゲルマン民族が大移動する拠点地域の一つであり、この点、おそらく一時世界史板で大暴れしていたポーランド系の狂信者が記載したと思われるWikipedia・東部国境関係の記述は、学術的・資料的に間違い、もしくは捏造である。
まぁ、戦争で負けたので、固有であっても領土が削られるということは、いつの時代、どこの地域でも起こっていたことなので、それは仕方がないだろう。
問題は、旧DDR地区を無神経に東独と表記していた日本のマスコミにある。
旧BRD地区を「西独」とするのにはそれほど抵抗もないのだけど、DDRを東独とされると、今でも少しひっかかることが多い。
じゃあどういう略称が良いのか、となると、それもまた妙案が思い浮かばない。
「東独」と表記されるのがまずいからといって「中独」とか表記されるのもちょっと問題がある、というか、ひっかかる気がする。
「中独」というのは、普通、Mitteldeutsch、つまり高地ドイツ、低地ドイツに対応する概念で、東西に対しての「中」ではなくて、南北に対しての「中」だからだ。
ともかく、条約的にという意味ではなく民族地誌として、戦後ドイツはまだ2/3しか統一されていないので、安易な「東独」表記については、もう少し考えてほしいものだ、と思う昨今である、というか、あの写真を初めて見た40年くらい前から思ってたけどね。(^_^;