火星の月の下で

日記がわり。

○DDR(ドイツ民主共和国)の呼称について

togetterで「東ドイツと西ドイツの主に航空戦力比較徒然」(892924)というのがあったので興味深く読ませてもらったのだけど、そこで執拗に使われる「東ドイツ」という言い回しに、あらためて違和感がビンビン。
DDRが解体・併呑されてもうかなり経つので「東ドイツ」という言い方も既に過去の歴史用語になった感があるが、それでもたまに、こういう戦記系作家の人がこの用語を使ってたりするとどうものど元になんかひっかかる違和感がぬぐえない。
後で書くけど、BRDを「西ドイツ」「西独」と言う点についてはそれほど違和感がないのだが、DDRを「東ドイツ」「東独」と言われると今でも違和感がある。
まず、戦争直後の国境線の変更についていろんな感じ方があったようだけど、かなりあとまでドイツでは「三分割」ととらえられていた。
BRD、DDR、そして追放・被占領地域の3つであって、70年代頃まで、特に北部の街道筋や道路なんかで、この「三分割は許せない」という立て看板をよく見たし、向こうのニュウス雑誌なんかにもちょくちょく載ってた。
被占領地域というのはオーデル・ナイセ以東のポンメルン、シュレージェン、東プロイセンを指し、例外も少しあったけど、通例ズデーテンは含まれないことが多い。
地図で見ると、ポンメルン・シュレージェンと東プロイセンダンツィヒを間にして離れているけど、一応「被占領地域」として扱っていた、という感覚だった。
つまり「東ドイツ」というのは、感覚としてポンメルン、シュレージェン、東プロイセンを指す、と考える人が冷戦時代には少なからずいたわけで、あえていうならDDRは「東ドイツ」ではなく「中ドイツ」なのだ。
BRDの場合はこの「三分割意識」の下でも西側だったので「西ドイツ」という言い方にはそれほど違和感もなかったのだが、ドイツ語の言語分布を思うと、それとても別の違和感が出てくる。
ドイツ語を多少なりともかじった人であれば、方言地図とか言語分布においてドイツ語が南北の差が激しい言語であることはよく知っているだろう。
いちおう同じ「ドイツ語」のくくりに入れられることが多いけど、スイスドイツ語はBRD中枢部とは同じ西ゲルマン文化圏とはいえ民族的にもやや遠く、人によってはスイスドイツ語、あるいは(正確ではないが)アレマン語とする人もいる。
一方北方の低地ドイツ語、低地ザクセン語の地域も、方言というよりは「近縁の別言語」に近く、オランダ語やフリーセン語などの問題も含めて、独特の「西ゲルマンの中の北方系」という立ち位置になる。
従って、北ドイツ(ドイツ的には低地ドイツ)、中部ドイツ、南ドイツ(ドイツ的には高地ドイツ)の区分の方がなじみがあり、東西の差というのは感覚として少しズレるのだ。
従って、もし仮にこの三分割感覚を取り入れるとしても、DDRを「中ドイツ」なんて言っちゃうと、この言語圏・文化圏としての中部ドイツと混同してしまう、みたいなところがあって、結局のところ略すのであればDDR、正確に言うのであれば「ドイツ民主共和国」であって「東ドイツ」という表記は分断国家の東側だから、という単純な理由には収まってくれないのである。
もっとも日本語として「東ドイツ」「東独」と言ってるんだから、まぁしゃあないかなぁ、という気がするのも事実ではあるんだけどね、もう歴史上の国家になってしまったし。