火星の月の下で

日記がわり。

「頒価」が忘れ去られた時代

「同人サークルと同人誌に対価があることの成り立ちと歴史の話」(togetter:929525)
珍しく、ほぼ全面同意のつぶやきまとめであるな。
一応、コミケカタログにもこれに近いことはほんの少しだけ書いてるんだけどね。
まんが同人誌が「同人サークルの会誌」であり、それを会員以外に頒布する価格、という頒価の考えが通用するのって、どのくらいまでなのだろうか。
コメント欄にも少し出てくるけど90年代初参加組だともうわからなくなってくるのだろうか。
個人誌ってのは既に70年代末くらいには登場してて、80年代の半ばにはもう大勢を占めていたような印象だったけど、この辺、統計とか取ってないor残してないので、記憶とか印象でしか語れないのがもどかしいところであるな。
従って、個人的な感想、体験の範囲になるけど、
1.60年代は肉筆回覧誌の時代。
郵送されてきたものを閲覧したあと、次の人に郵送、同時に本部に到着の手紙、もしくは感想つきの封書を送付。
60年代末にオフセット自体は登場していたらしいけど、まだまだ手が届かないところが大半。
2.70年代前半。青焼きとコピー、オフセット誌並立の時代。
作品集が肉筆か、ときに奮発してオフセット、それ以外の会誌、連絡が青焼きだったりコピーだったり。シルクスクリーンなんてのを使ってるところもあった。
同人誌印刷は、東京文芸、ナール、大友くらいしなかったように思う。
あとは(私もそうだったけど)地方新聞社の印刷部門とか、大手専門学校の印刷局なんかも利用していた。
3.70年代半ばから後半。ほぼオフセットが主流に。
コピー誌はまだ健在だったけど、青焼きはかなり少数派に。
個人誌が出始めたのも、このオフセットが主流になったのと関係があると思う。
同人誌印刷屋がものすごく増えた。
4.70年代末から80年代。
コミケが商業的な場所になっていったような感じ。
とはいえまだまだサークル活動をやり、サークルの会誌を持ってきていたところ、というのはそこそこいたように思う。
印刷はほぼオフセットだが、少部数としてのコピー誌が盛り返してきた印象。
青焼きはさすがにこの段階ではすたれていたかな。
5.90年代末から00年代。
全体傾向に大きな変化はないと思うけど、PCとプリンターによる自家製出版、なんてのがチラチラ現われ始めた頃。
以上、個人的な感覚の範囲なので、東京大阪だけでなく、全国的に大きな視野で見ればまた違ってくるかも知れないが、だいたいこんなものじゃないだろうか。
でもこういうことをちゃんと言ってくれる人がいる、というのは大事なことだよなぁ。
望むらくは、こういう声もなんらかの形で記録されていってほしいものだと思う。