火星の月の下で

日記がわり。

雨と「風涛(Sturm und Drang)」

昨晩から穏やかな春の雨。
したがって決して疾風怒濤の雨ではないのだが、最近クリンガーの劇をいくつか読んだこともあって「Sturm und Drang」について連想してしまうことが多くなってしまう。
よく知られているように、文学思潮、あるいは文学史用語の一つとしてしられる「Sturm und Drang」というのは劇作家クリンガーが1776年に発表した散文の名によっているが、この作品はもともと『混乱』という名前で発表され、そののち『シュトルム・ウント・ドラング(嵐と波)』という名に改題された。
文学史としてのSturm und Drangは、1770年から1780年のかけての文学傾向、思潮であったので、70年代も半ばをすぎた頃に発表されたこの作品が始点というのではなく、そのピークにあったからこその命名であった。
さらに盛期の代表作としてはこれに先立つゲーテの『ゲッツ』が上げられるべき。(ゲーテとクリンガーはこの頃仲違いをしているが)
それではこの疾風怒濤時代の始点となるべき作品はどのあたりから語られるべきか。
文学作品としての価値、という点では、この70年代半ばに登場したゲーテとクリンガー、そして両者の間に立つレンツあたりが代表となるのだが、その始点に立つ作家としてはゲーテより12歳、クリンガーより15歳年長のゲルテンスベルクが発表した『ウゴリーノ』あたりになるだろうか。
もっとも、文学作品としてではなく、思潮として見るのならルソーの著述がドイツ語に翻訳され始めた頃、と見るべきかもしれないが(過去の文学史の通説)、シェイクスピアの劇が浸透し始めた頃、ということもかなり大きくて、ゲルテンスベルクはその天才を大いに讃え、レンツは早くもそこから文学史的意義を導き出している。
さて、クリンガーの劇としては『オットー』(1774)『双生児』(1775)という作品があって、後者はProjekt Gutenbergにアップされているので、ネット上でも読める。
作品としては、この『双生児』こそが代表作とされることも多いようだ。