火星の月の下で

日記がわり。

『算法少女』を読む

なんか『算法少女』がアニメ化しているらしいので、良い機会だから再読してみた。

70年代に児童向け単行本として出た遠藤寛子氏の『算法少女』がちくま学芸文庫で復活したのが2006年。
70年代に書名だけは知っていたがその時は読んでおらず、ちくま学芸での復活直後に購入したものの、積読状態だったので、引っ張り出してきて通読。
ところがかなり筋を覚えていたので、買った直後に一度読んで、忘れてたのかな・・・。
もともとが児童書だったこともあってすいすい読めるし、それで逆に記憶に残りにくかったのかもしれない。
今回読み直してみて、児童向けとしてはよくできてるし、読みやすいし、人物造形などはいささか古臭くはあるけど、むしろそこに昭和40年代当時の学齢期文学少年・少女たちの志向が垣間見えていたりして、かえって心地よい古臭さ。
加えて適度に史実を交えていることもあり(つうか筋の骨格は史実なのだけど)江戸時代の貧しいけれどもインテリ庶民という像がうまく好奇心をつく展開になっているし、文だけでなく、素材もうまく扱っている印象。
ただそれらは「児童書」として優秀ということで、「数学少女モノ」として読むといささか物足りない。
作者が純粋の人文系出自の教育者ということもあってか数学的なセンスがあまり感じられないこと、前半こそ和算の問題や当時の状況あたりがうまく説明されていて知的刺激もあったものの、後半にいたって「算法少女・千葉あき」の物語が主眼となるため和算の存在がかなりうすれてしまっていたこと、などが一因だろう。
とはいえ、作品としては面白いし、素材の料理方法と着眼点が良いので、作品としての立ち位置とかを思うと、そういった点はそれほど瑕疵にはならないと思う。
和算」のところをもっとつっこんでやってほしかった、というのは、つまるところ、ワタクシの個人的感想。

それにしてもアニメになっていた、というのは気づかなかった。
ようつべで予告編が見られるみたいなので見てみたんだが、日本昔ばなしみたいな、絵物語的なヤツなのでアニメとしてみるには少し厳しいかもしれないけど。
とはいえ、機会があればぜひ見てみたいものなのだが、関西上映会は三月に京都で一度あったみたいなので、またしばらくはないかな。