火星の月の下で

日記がわり。

アカデミズムがサブカルを題材にとると・・・

「日本中で愛を叫んだけもの - 動物園と動物アニメは、絶滅危惧種への関心を高め、寄付を促進する -」
(ps://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20191122-1.html)
東京大学農学部の大学院に掲載された、『けものフレンズ』(おそらく第一期のみ)の影響等についての論文。
適度に学術用語を使っているのでそれっぽくは見えるけど、内容としてはあんまり大したこと書いてなくて、
けもフレ効果で世間の関心が高まっているみたい」という程度のもの。
アカデミズムの側からこの場へ降りてきてやったんだぞ、みたいな空気も若干感じる。あくまで「若干」だけど。

社会学関連ではもう素材の一つとして定着しているサブカル関連だけど、アカデミズムの側から発信する人には、この「調べたらわかる」程度のことしか書けていない、発信できていないのはどうしたわけだろう。
もちろんその「調べてみたら」という部分もアカデミズム側の責務の一つとも言えなくもないけど、そこからあまり踏み込めないものがほとんど。
思うに、観察者としての立場を堅持しなくてはならない(と勝手に盲信している)ため、渦中に飛び込むことを極端に恐れているかのようだ。
題材を上から目線で眺めるのは好きだけど、自分が上から目線で見られるのはイヤなのだろう。

かつて、サブカルの世界では世間と学歴が逆、と言われたことがあった。
中卒が一番偉くて(中卒までにデヴューして、しかも確固たる地位に上り詰めてしまう)、院まで行くのはどうしても使えないクズ(かなり上の年齢になるまでデヴューできない無才能の努力バカ)。倉多江美さんだったかの短編漫画にもそういう素材のものがあったような記憶。
それでも平均的には大学まで行く連中が多いので、天才の類はいなくても秀才から凡才まで、大卒の中に混在するが、大学別にみると、東大や京大と言った偏差値の高い大学に行った連中は、そういうことにしか頭が使えないので、サブカルとしての「低学歴出身者」、一方大阪芸大とかムサ美日大芸術学部とかは、この道のエリート様である、といった考え方。
たぶんに皮肉も入ってるので、こういう明瞭な図式がいたるところに存在しているわけではないけど、そういう観点も時に必要になるのだな、と思わせてくれる場面は多々ある。