火星の月の下で

日記がわり。

受験の御三家

「“御三家”から脱落寸前…少数精鋭の武蔵高校に起きた異変」
(ps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/267502)
(ps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200114-00000008-nkgendai-life)
元記事は上のゲンダイの方なんだけど、コメント欄にOBと思しき意見が載っていたので下のYah0Oの記事もリンク。
開成、麻布、武蔵が御三家、なんて東都から遠くはなれた地域に住むようになって20年以上経つのでピンとこなくなってしまったけど、我々が受験生だった頃「東の御三家」としてよく名前を聞いたものだった。
知人にも武蔵へ進んだのがいて、その後小説家になったり、映像デザイナーになったりして、東京の中では個性のある良い高校だと思っていた。
しかし一学年の人数が少なく、少数精鋭であるがゆえに首都圏を離れるととんと知名度もない。
加えてこの記事にも出てきたように、進学塾との接触に消極的だった、ということもあったらしい。

一方「西の御三家」として、昭和40年代頃からよく言われていた、灘・甲陽・六甲。
西の御三家はいずれも一学年の定員が少ないので、東京ほどには「数字の差」は感じなかったが、それでも最少人数の六甲も似たような雰囲気だった。
伝統の甲陽、東大合格者数の灘に比べて、知名度はかなり落ちた。
しかしこちらも何人か知人、友人が進学していたので個性的な良い高校だと思っていたが、知名度ではやはり水をあけられてしまっている。

ともすれば大学合格者数、それも東大、せいぜい京大くらいまでの数字で比較されることが多いので、定員が少なく個性的な教育を施されているところは知名度において不利になり埋没していくのだろうか。
上の記事で武蔵のOBと思しき人物が「余計なお世話だ」と言っているが、おおむね同感。
こういう個性的な高校は自分を見失わずに(これが難しいのだが)、実績もついでいってくれたら、と別に両校のOBでもなんでもないんだが、思ってしまった次第。