火星の月の下で

日記がわり。

教室授業考

高校は義務教育ではないのに、なぜか義務教育のような錯覚がある。
それは学歴とか、年齢とか、学ぶ内容とかではなくて、あの独特の教室文化だ。
大学に進学して、いろんな経験をし、また視野も広がったけど、同時に喪失したっていう感覚の一つに、この教室授業の消失があった。
厳密に言うと、大学でも語学教室では高校時代のような教室授業が体験できるし、少人数ゼミなんかでは比較的それに近いものもある。
しかしそれらとは決定的に違う、あの教室文化。

高校にも体育とか、移動教室とか、理科実験や調理実習のような、固定された教室から離れる授業はあったけど、それらは時間的に極めて少ないか、平素の教室授業の延長(生徒が同じ教室のメンバーだったりなど)だったりで、例外的なものだった。
そもそもそう言った移動教室や実験実習なんて、少ないながらも小学校、中学校でもあったしね。
18歳以下の学校生活っていうのは、一年間変わらないメンバーが、同じ年齢で、同じ教室空間で過ごすことだった。
ところが大学進学を機に(専門学校もあるかもしれないけど、そっちは知識がないので触れないでおく)この教室文化がなくなる、もしくは希釈される。
人間の活動としての、平日の昼間、その空間が突然ガラッと変わる。

もちろん、社会に出ていくとき、教室文化しか知らないことより、大講義室の文化や、少人数ゼミの空気、発言や思考なんかがあるのは大切なことだし、なにより受け手一方になりがちな教室文化とは違う新しい文化に接することになるのはたいへん有用だと思うし、大学の意義というのは、そこで学ぶ学問だけではない、というのがよくわかってきたりするのだが、そこにある種の喪失感も出てくるのだ。

昔、もう30年か40年くらい前に、笑福亭鶴瓶氏がラジオの深夜放送で面白いことを言っていた。
鶴瓶が同窓生と一緒に高校の同窓会をしたときのこと。
その時、母校の教室を使って、当時の先生を呼んできて、もう一度授業をしてもらおう、という企画をやったらしい。
母校の許可もとり、当時の先生にも協力してもらってやってみたのたが
「やっぱり昔のようにはできなかった。皆、笑ってしまうしね」
等と言っていたのだ。

このエピソードはいろんなことを含んでいたように思う。
それは何より皆社会に出てしまった社会人であること。
もちろん歳も取ってしまったし、それしかなかった高校時代とは、同じ感情では動けない。
そう、教室文化ではなく、15歳から18歳までを過ごした、その時代、その年齢の時の空気感、なんかが郷愁を誘い、同時に青春の喪失感をもたらすのだ。
その象徴としての、教室文化。そこにかつていた同じ年齢の同窓生。

かつて過ごした教室を思い浮かべることで、当時の記憶だけでなく、感覚や時代なんかも思い出してしまう。
当時はとんでもなく嫌な思い出、嫌な時間もあったけど、それらを全て含めて、教室授業文化は各人の身の内に、死ぬまで残り続けるのだろう。