火星の月の下で

日記がわり。

ジェノサイド五輪

あんまり政治的な内容は書きたくなかったんだけど、アネモネさんとこの東アジア黙示録に秀逸な記事ジェノサイド五輪がアップされていたので、それについて思うところを少し。
北京五輪のむちゃくちゃさは、決まった当初からいろんなところで言われてきたけど、日本国内では全然こういう話を聞かない。
しかし海外ニュースをチラチラとでも眺めていたら、決まった頃は東トルキスタンでの暴力圧制、しばらくしてティベットの虐殺が主にフランスのメディアから流されるようになり、そして今回のこのダルフール紛争の虐殺を国家レベルで支援と、なんでこんなところで五輪が?・・・と思われる報道はけっこうなじみのあるものだった。
だが、2008年を来年に控えて、さすがにもうひっくり返すのは無理かなぁ、って気になっている。スケジュール的にね。
上の記事でも少し触れられているけど、日本メディアの腰抜けぶりも痛々しいばかりで、なんでも国交回復した頃に中共との間で不利になることは報道しない、みたいな協定が結ばれたらしい、ということなんだが。
どの程度ホントなんだろうなぁ。ホントだとしたら、もう報道機関を名乗る資格なんてないように思うんだが。
日本人はこういうお祭りごとを肯定的にとらえてしまう悪弊があって、北京で五輪をやるから、面白そうだ、楽しみ、っていう発想の方が先にきているのかもしれない。
うちの地元の奈良でも、1300年祭っていう、土建屋のためのイベントが始まるみたいで、先の知事選、県議選でもこれの成功を公約にあげて人がけっこういたけど、批判派は金がかかりすぎる、肯定派は楽しいからいいじゃないか(実質は土建屋支援)みたいな論調しか出てこない。
世界遺産管理のユニセフに無届けで計画が決まった違法性について、ほとんど声を聞かない。嘆かわしいことですな。