火星の月の下で

日記がわり。

ミャンマー雑感

いつも秀逸なコメントで蒙をひらかせてもらっている、きち@石根さんとこで昨今のミャンマー情勢不安について、的確なことを述べていてくれたので、ちょっとリンクしときます。
ミャンマーは人権屋のおもちゃに
若い頃、声調言語に興味があった頃、タイ北部からミャンマー北部、東部にかけての言語論文を読んでいたことがあって、そのツテで何人かのミャンマー人と知り合った。
そのうちの2人は今でもたまにメール交換とかしてるんだけど、彼らや、かつての友人関連の話で聞くと、本当にビルマ人がアウンサン・スーチーに政権をとってほしいと思っているのかどうか、首をかしげたくなるときがしばしばあった。
軍政について、あるいはビルマ族の統治に対する不満はいくつか聞くことはあっても、スーチー女史に政権を担ってほしい、という声はあまり聞かない。
いや、まったく聞かない、というのではないけど、メディア報道で伝えられるような、民衆の圧倒的要求、という比率にはとても結びつかない程度の比率でしか聞かない、と言ったほうがいいかもしれない。
よく聞くのは、英国の犬、みたいな表現で、少なくとも国の未来を託せるような印象では語っていなかったのだ。
今国内にいる友人も(身に危険が及ぶといやなので、これ以上具体的には書かないけど)軍政には反対だけど、スーチーの政権はもっと嫌だ、確実に内戦になる、と言ってる。
もちろん、大学を出て、外国人と自由に英語でコミュニケートできる連中なので、彼らをもって「民衆の代表」などという気はないけど、あまりに温度差が違いすぎるのだ。
ビルマ人が親日、というのは、非常に強く感じる。上の石根さんの記事ではあまり明確に書かれてないけど、「同じ仏教国なのに先進国」ということで、好意をもってくれてる人が多い、という感覚がある。好意の根源として、アジア人で欧米の植民地支配を打破してくれた、というのよりも(もちろんそういう声もけっこう聞いたがそれ以上に)同じ仏教国、ということを感じている人は多かった*1、という印象であった。
この点については、ほとんど中学相当程度しか出ていない、あまり歴史知識をもっていそうにない人たちもそうだったような記憶がある。
敬虔な仏教徒である彼らが、英国で教養を授かり、英国人と結婚したスーチーに心理的な親近感を覚えそう、というのは、建国の父の娘だからといっても、かなりの違和感を感じてしまうのだ。
だから新聞報道なんかで、民衆が切望するスーチー政権を軍政が力で押しつぶしている、というような表現は、まるで別の国のできごとのように感じてしまうのだ。
まぁ、私の感覚は個人体験の域を出てないから、ていうのもあるんだろうけど、それにしても、である。
建国の父、という点についても、上の石根さんところで述べられているように、ちょっと怪しいところもあって、バー・モウの方がはるかにそれに近いだろう、というのはなんとなくわかるような気もする。建国の父とまて言っていいか、はよくわからないけど。
まぁ、ビルマの場合には、背景に支那共産党の圧力を強烈に感じるから、そっちに対しての不安感、っていうのは相当あるけどね。

*1:もちろん、ビルマ上座部仏教南伝仏教)で日本が大乗仏教(北伝仏教)っていう違いをよく知っている人であっても、である。