火星の月の下で

日記がわり。

感覚の相違・・・?

かーずさんとこ経由で、『魔法少女プリティサミー』が語られない理由と、『無責任艦長タイラー』が語られない理由を読んだんだけど・・・。
「語られていない」?・・・つまり現時点において、ってこと?
それならある程度首肯しもするが、両作とも当時パソ通で熱狂的に支持されていて、いろんなサイトでスレッドが立ち上がっていたんだが・・・。
この人たちはその頃のことを知らないのだろうか?・・という気も少しした。
考えてみれば、今、インターネットがすっかり庶民レベルに普及してしまっているけど、依然としてまだやってない人だって、たぶん少数だろうけどいるだろう。そういう人たちから見たら、ネット上で騒がれてる話題も「語られていない」ように見えるのかなぁ、という感じがしてしまった。
ただまぁ、上の2つで語られているのは、あくまで現在のことであろうから、決して間違っている、とかって難癖をつけるつもりは毛頭ないんだが、当時の草の根パソ通での熱狂といってもいいぐらいの歓迎のされ方を覚えている人間としては、どうも感覚的に違和感を感じてしまうのだ。
当時、草の根だけで100以上入ってたけど、そりゃあすごかったんだから。
で、現在、そういった作品が語られない、っていうのは、当然でしょう、過去作品なんだから。現在作品がそこそこの品質で流通すれば、過去作品は2番手、3番手になるのは仕方がない。
別に両作品に限らず、そんなのはいくらでもあるわけで、現在との品質差を無視して、当時のマニア人気度合いだけで言えば、「なんで『ロビン』が語られないのか」「なんで『モノクロ009』が語られないのか」「なんで『スーパージェッター』が語られないのか」等々、いろいろある。
一応、現在も毎週50本以上録画視聴し、モノクロ時代からリアルタイムで見てきた人間としては、そういうことばも出てきちゃうところではあるかな。
と、こう書くと、非難しているみたいだが、そういうのでは決してないので。
こういう取り上げ方をしてくれていると、現時点で過去の情報を持っていない人には良い啓蒙になるし、両作品とももちろん好きだったし、注目をあびてくれることはとってもいいことだと思う。もっとも「良い作品なのに人気がなかった」と誤読されてたりすると、ちょっといやかな、とは思わなくもなかったけど。
で、書きたかったことは、感覚の違いである。上で取り上げられている、特にタイラーの方は分析としては至極まともだし、面白く読ませてもらった。
まぁ、当時わしらは、白土原画や安彦原画を経て西島原画とか中嶋原画、あるいは大阪動画、福岡動画、なんてところにまで首をつっこんでいたので、こういう人たちがいてくれる、というのはかなり心強いものだったりもするわけだが。(究極シリーズの最初のうる星本のインパクトは今でも鮮明に脳裏に残っている)