火星の月の下で

日記がわり。

◇岡○斗司夫だって消費するしか脳がないサイドにいたんだけどね

「オタクは消費するだけの存在、すでに死んでいる」・・・を読んでの感想。(笑)
岡田を第1世代・・・みたいに言ってるけど、岡田よりも年長で、昭和40年代に既に今日のヲタ活動みたいなことをしていた我々は、いったいどうなるんだろう、第0世代かな?(^_^;
そんなことはともかく、DAICON3で出てきた頃の、あのSFフリーク連中についてはまだ記憶があるけど、どう見ても、消費しかできない、いいとこパロディでお茶を濁すだけ、典拠がないと何もできない、みたいな感覚があったんだけどなぁ。
それ以前、昭和40年代前半のCOM・ぐらこん世代は、ものを「創る」ことに苦吟していた世代だったと思う。
「創造」の意味を求めてて、時にその純粋性を過大に評価してしまい、結果「どうせ全部パロディだ」「純粋な創作なんてない」という逆説を引っ張り出してしまったことは残念だと思うけど、純創作ということは,典拠やルーツがない、無から有を生み出した、という意味ではなくて、そこに至るまでのクリエーターの姿勢だったと思うんだけどね。
第1世代のパロディに逃げないと自分を保てない卑怯さ、創造をバカにすることで、相対的に自分達を高く見せようとする小ざかしさには、正直うんざりしていたのだ。そんなことを言うなら、自分たちもちゃんと創ってみろ、と。
岡田の言う第1世代は、わしらから見ると、劣化世代だった。
むしろその後に出てきた、FRなんかの投稿欄から、独自のスタイルを生み出していく、そして「細部に神が宿りたまう」ことを実践していった、第2、第3世代は、進化というか、かつて我々が苦悶していたとに対しての答えを出してきてくれた、そういう感覚があったのだよ。
だから、そういった、停滞を引き起こしていた連中が、いったい何言ってるんだ、というのは、すごく思ってしまうわけ。(笑)
もちろん、岡田世代の波の中からもしっかり創造をなしていった連中はいるし、それゆえにこそ今日にいたるまで、マンガ・アニメを母体とする文化は発展していってるんだけど。
ただ、岡田に関しては、最初らそういった新時代の創造者たちの側にはいなかったし、むしろそういった創造者達の果実を適当につまんで商売にしていた、という感覚の方がはるかに強かったのよ。
だいたい、SFジャンキーみたいだった彼が、アニメ通でもマンガ通でもゲーム通でもなかったのはよく知られていたし、それがキングを名乗ってる、というのは、なんか朝鮮人の歴史捏造を連想させて、非常に不愉快に感じていたのよん。
そういやこの世代には、漫棚通信さんのコラムをまるまるパクって本に載せちゃった、ていうのもいたよね。
若いときに、自分の頭からひねり出してくる、という習慣をもてなかった世代・・・なのかなぁ、こいつらは。(笑)