火星の月の下で

日記がわり。

◇ヤボなつっこみをひとつ

タイムスリップで昭和に言っても信じて貰えない事
なんか想像力が鈍化してきてんのかなぁ、ここに書かれてるのって、昭和50年代くらいだと十分想像できるようなことばっかりだった気がする。
長寿テレビ番組が終わる、万年下位球団が優勝する、ある高額商品、未来商品が捨て値のような安価になる、ある芸能人の末路、等々、昭和50年代くらいなら十分に想像の範疇、むしろ分野によっては(高額商品の安価)は望まれてさえいたように思う。
こういうのはある期間をおいてよく立つ話題だけど、時を経るにしたがって想像力が貧困になってきてる感じだな・・・。
敗戦後昭和の40年間、戦争のような大きなできごを国内にほとんど体験しなかったこともあって、今の目から見ると、硬直した平和が延々と続いていたようなイメージだったのだろうか。
しかし、その渦中にいた身としては、2度の安保騒乱はまざまざと記憶にあるし、2度の石油ショックで生活の価値観がひっくり返ることも経験していたし「現在の状況が永遠に続く」なんて思ってた人はそんなにいなかったはずだ。
強いてあげれば「関西には地震が来ない」という信仰にも似た思い違いが背景にあった阪神大震災くらいかな。
あれは民間の知識と専門家の知識の間にかなりのズレがあったからだと思うけど、それでも専門家の間には「当然来るべくして」みたいな感覚はあった、と聞いたし。
したがって、こういうのを書く場合、現在のあたりまえになったものと過去との差、という観点ではあんまりうまくいかないと思う。
その対象物、事件のではなく、そういった背景にある思い込み、知識量の差、みたいなものを考えないと、うまくいかないんじゃないかなぁ。
ネタにマジレス、カコワルイ、を地でいくようなヤボのきわみのつっこみなんだが、まぁ、日記なんで、こういう日々の想いも書いといてもいいかな。(^_^;