火星の月の下で

日記がわり。

▽囲碁が嫌いになった理由

海外の棋士に門を閉ざした日本囲碁の行方…「最高の賞金と最低の実力」東亜備忘録さん経由)
元記事がチョン語なのと、掲示板なんで、すぐに消えてしまうだろうけど、要約すると、
・日本の囲碁はレベルが低いのに賞金は高額。
・半島民が日本棋院の門をたたいたが、門前払いをくらった。
・おれたちにも賞金よこせ。
・・・ということらしいが、国内大会で高額賞金になって、なんか問題があるのか?
いろいろとつっこみたいところはあるけど、東亜備忘録さんの方でいろいろ出ているみたいなんで、それはおさえておく。
ここは日記なんで、個人的な回顧だけしておくが、少年時代、将棋が一番好きではあったが、囲碁、チェス、マールック、象棋、とかも一通りやっていて、それなりに好きだった。
だが、その中で、最初にいやになったのが囲碁
欧州で朝鮮人の傍若無人な態度を見てからである。
加えて、日本棋院の外人優遇策。あれ見て、もうこんなのに首つっこんで不快感を増幅させることもないな、と思い出した。二十代前半の頃だ。
大相撲に外人が大量に入ってきて嫌気をさす人の心理とは、違うのか、同じなのか、大相撲の方はそれほど興味もないのでよくわからないが、囲碁に関しては、国内企業が外人を入れた大会のために、なんで高額賞金を出すんだ?・・・と思ったもんだった。
もちろん、それだけでなく、将棋のゲームとしての優秀性にどんどんはまっていったから、というのもあるけど、囲碁は純粋にゲーム以外の雑音が多すぎる、というのが実感で、それは特に朝鮮人がらみの時に、特に強く感じるようになった。
ヒカルの碁』で、少し人気を取り戻したし、あの作品はマンガ作品としてもアニメ作品としてもすこぶる面白かったので、あれを読んでいた頃は、不快な想いをする以前の、囲碁が楽しかった頃なんかを思い出していたが、あの作品も最後はチョンをからませて、かなり後味の悪い終わり方になってしまった。
やはりチョンがかかわってくる以上、囲碁にはもう振り向かない方がいいのかも知れない。
卓上ゲームのような、文化背景があるものに、国際交流とか、国際普及なんてのは、それほど重要性を感じない。
将来、愛する将棋が国際普及してしまったとしても、チョンにだけは広めてほしくない。