火星の月の下で

日記がわり。

3極体制だった70年代

巨大化の一方になるコミケだけど、70年代にあった3極体制がもし続いていたら、今日のこの混雑も、ある程度は緩和できたんだろうか、ということを少し思ってしまった。
結局のところ、人口集中の首都でやってるので、仮にあの3極体制が続いていたとしても、コミケの混雑一極に変化はなかったろうな、というところに落ち着くのだろう。
大阪のコミックバザール(通称コミール)、名古屋のコミックカーニバル(通称コミカ)との3極時代を知る人間も相当少なくなってきているんだろう。
もっとも、3極体制だったのもほんの数年で(実質は2年程度だったと思う)まもなくコミケ一極になってしまったけど、70年代のコミケにも会場の問題、消防法の問題なんかも常にあって、それほど安泰じゃなかった。
ただ、人だけは優秀だったと思う。そこが、コミール、コミカとの決定的違いかな。
当時の3極体制時代、そのいずれにも加わっていた、というのは、案外少なくて、近畿か東海の出身者で東京にいる者と、東京出身者で近畿か東海にいたもの、が主だったように思う。つまり帰省をかねての参加、といった形で。
それ以外の人は、地元にしか参加していなかったように思うのだが・・・まぁ、同人ゴロはかなり初期からいたので、そういう連中は別にして。
3極時代の頃は、規模もそんなに大きくなく、今の都産貿でやってるオンリー系のちょっとでかいヤツ、くらいの感覚だったが、それでもそこに参加するとき、ある種の高揚感、期待感は常にあった。
この3都市以外では、金沢、新潟、岡山、といったあたりで継続的な即売会があったし*1、単発、もしくは数回で終わったものなら、他にもあったと思う。
けっこうこの「同人誌即売会」文化の伝播は早かったのだ。
今ではちょっと考えられないけど、コミケにいかないと出会えない本、人、と同様に、3極体制時代には、コミールに行かないと、コミカにいかないと、出会えないものや人は、いくつかあった。
かえすがえすも残念なのは、あれほど楽しみにし、また存分に楽しんでいたのに、きわめて消費者的に参加してしまい、その記録をほとんどとっていなかったことだ。
デジカメはまだなかたけど、使い捨てカメラなんかは既にでてきていたし、撮影基準も今ほどきつくもなく、モラルも今ほど破綻してなかったので、しようと思えばできただけに、残念至極である。
それでもコミケの記録自体は残るだろうけど、コミールとコミカの記憶は、証言の中でしか残らないのだな、と思うと、かなり寂しいものを感じてしまう。

*1:ちなみに、金沢と岡山の即売会にはかなり初期に参加していたことがあって、遠来からの参加ということで、北国新聞(・・・だったと思う)に取材されたこともあった。さすがに名前と写真はかんべんしてもらったが。