火星の月の下で

日記がわり。

◇榎本喜八氏、死去

打撃の天才と言われた榎本喜八氏が亡くなられたらしい。
Wikipediaに載っている逸話の数々のうち、大部分は昭和の頃にいくつか聞き知っていたし、晩年の榎本ならかなり覚えているが、残念なことにその全盛時代はほとんど知らない。
ただ、対戦した多くの名投手、特に私の尊敬する足立光宏投手などもこの榎本を高く評価していたので、全盛期を直に見られなかったのは残念だ。
私が直に見た中で打撃が職人的にうまいと感じたのは、加藤秀司イチローだけど、たぶん直に見ていたら、榎本もここに入ったのだろうか。
1960年のパシフィックリーグを制した大毎のミサイル打線は、強力打線の代名詞として、1947年の阪神ダイナマイト打線、60年代前半の南海400フィート打線、巨人のON砲とともによくあがる名前で、その中軸にいたのが、山内と榎本だった。
あるいは、川上哲治がその全盛期に「ボールが止まって見えた」というのと、この榎本の「神の域」というのも有名なエピソードで、無心になにかを極めたときに達する感覚としてもよく知られていた。
大毎時代の監督であり、良き先輩であった西本幸雄氏が亡くなられ、後を追うように逝かれてしまった。
いろいろ苦労の多かった人生らしい。安らかに眠られんことを。