火星の月の下で

日記がわり。

○Amazon語学書の評価を読んで

岩波文庫文庫クセジュなんかと同じくらい大学書林の「四週間シリーズ」が好きなので、Amazonなんかでも購入するでもなく(あらかた持ってるから、というのもあるけど)ボーッと見てることがたまにあるのだけど、レヴュー記事なんか読んでると、感性がまったく違うな、と思わされるのによくぶつかる。
曰く、実用に供しない。
曰く、現在では使わない用例ばっかり。
曰く、古い文学作品の例文しかない。
曰く、練習問題がない、あっても解答がない、エトセトラ、エトセトラ。
うん、まぁそうだよね、多くの人、というかほとんどの人にとって語学書って、実用書であることが最大の価値なんだろうし、使うため、通じるためでなければ存在価値はないよね、うん、それはよくわかる。
会話集やら初心者用、あるいは「すぐに使える」「実用性」を歌っている書籍なら、それは間違いないし、また作り手の側もその観点を忘れてはいけないだろう、たとえどんなに語学的に正確であろうとも。
でもなぁ、四週間シリーズはそうじゃないと思うのだよ。
かつてなかなか外国にはいけなかった、それ故その言語をしゃべる人とも出くわさない、でも彼らが書いた書籍は読み込んで行かなくてはいけない、そういう時代の歴史的遺跡なのだよ、四週間シリーズは。
それゆえにこそワタクシのような愛好者がいるわけだし、趣味としての語学の面白さを堪能させてくれるわけだ。
たぶんにこの「〜語四週間」というネーミングが錯覚させるのだろう、手軽に習得できる語学書、みたいに。
文化的背景をしっかりと持つ言語が、それこそ四週間ごときで習得なんかできるはずがない、それゆえこれは初心者向けの実用本ではないか、という錯覚を起こさせるのだろうか。まぁ書籍の体裁が古いので、21世紀の現在ではそう考える人もあんまりいないとは思うけど。
でもね、この四週間シリーズは語学の楽しみを味わおうとする者にとっては、妙に懐かしく、妙に頼りがいがあるような思わせてくれるのだ。
もちろん最近書かれた四週間シリーズの中にはそこそこの実用性を持っているのもあるし、逆に昔すぎるものの中には、明らかな間違いが修正されないまま刊行を続けているものもある。
しかしその中で名著と言われているものだと、語学趣味者にとってはおろそかに扱えない渋味を秘めている事も又事実なのである。