火星の月の下で

日記がわり。

○解答がついていない語学書

Amazonの書評なんかをちらちら見ていると「練習問題に解答がついていない」というのにちょくちょくでくわす。
かつては一般的というか、極めて普通だな、と思うこともあったけど、最近は「さすがにこれを解答なしで『練習問題』とするには無理があるだろう」というのもチラチラ目にするようになった。
そもそも語学の訳読問題で解答をつける意味があるのか、というのは人文科学の立ち位置で考えるとわからなくもないのだ。
受験英語になれてしまって、練習問題にひっかけというかポイントが明瞭に仕込まれていて、というような形だと、解答は必須で、それも含めて語学参考書、なのだが、ごく少数の例外を除いて学校英語では扱われることのない英語以外の外国語では、もっぱら訳読が主体になるし、そうであれば文法上、あるいは語義上の仕込み、ひっかけなどがはさまれる必要はなく、原典としての難しさ以外は必要ないわけだ。
それならばそこに至る語義と、使用方法、文法などの解説のあとで読むのであれば、解答は必ずしも必須ではないよな、と思うこともあった。
Amazonの書評に、どの程度までの必要性を感じているのかわからない評もあるのだけど、とりあえず「この語学書の練習問題には解答がありませんよ」という情報はつけておいてほしいと思う。
もっとも、解答がついていないことによるただそれだけの理由からのマイナス評価は、カンベン願いたいところではあるが。