火星の月の下で

日記がわり。

◇運動会とビデオカメラ

台風の合間に、近くの公立小学校で運動会があった。
田舎だけあってわりと誰でも自由に入れるみたいだったのだが、さすがに子供がいるわけでもないので敷地内に勝手に入るのはためらわれる。
そこで外からぼんやりと見ていたのだが、こんな田舎でも、というか田舎だからこそか、ビデオカメラで撮影している父兄の多いこと多いこと。
そこに撮影された動画がどうなるのだろう、としばらくの妄想。
児童が成人して、就職して、結婚して、まぁそのあたりまでは良い記念になるだろう。
そして次のステップ、それはどうやて保存されるのだろうか。
デジタル動画そのものは劣化しないとして、その媒体がどのくらいもつのか。
そしてそれをどのタイミングで移し替えて保存していくのか、まさかそんなプライベートまでもがクラウド化するとは思えないし。
何十年もすれば、それこそ100年くらいのスパンで保存が可能になる材質になっているのだろうけど・・・。
そんなことをぼんやり思ってしまったのも、自分の小学生時代の写真がのすごく少なく、しかもモノクロだったから。
思い出の中の自分は、当然のことながら自分の目で見た記憶が主体となる。
写真に写っている自分は自分なのだが、それは別人の目(多くは親)によって撮られているので、少し記憶と違ってくる。
あそこで元気に動いていた子供達は、はたして鮮明なカラー動画で撮られた自分と、自分幼年期の記憶と、どうおりあいをつけていくのだろうか。
これは自身が体験しなかったことなので、いろいろ考えてしまう休日午前でありました。