火星の月の下で

日記がわり。

○文字のわからない風景

外国で文字が読めない”を考えた
漢字やアルファベットとは違う文化圏に入ったときに感じる独特の風景、感覚。
そしてそこから逆に日本語の風景を考えてみる。
なかなか面白かった。
私は違う文化圏に行くときにはその国のことばをガンガン勉強してから行くタイプだったので、こういう視点はかなり欠落していたようだ。
もっとも最近はもう歳なので、新しい未知の文字、未知の言語を学んで、という意欲はかなり減退してしまっているけれども。
日本語の風景を見慣れている、というかもうほとんど生活の一部なので、なかなかこういう視点にはなりにくい。
確かに書かれているように一行でも英語が入っているとかなり景色がかわってくることだろう。
とはいってもハングルだけは絶対にいらんけど。
東京五輪については、東京以外のほとんどの地方では関係のないことかもしれないが、私の居住地・奈良みたいなところは、もちろん東京ほどではないにしてもある程度の影響があるかも知れないので、少しばかりは頭に入れておくべきかな。