火星の月の下で

日記がわり。

◎シュヴェーグラーの西洋哲学史

純潔のマリア』で、ベルナールが最後に「普遍」だの「サン・トマ」だの言い出しておかしなことになっていたので、懐かしくなり、30年近く前に愛読していたシュヴェーグラーの『西洋哲学史』を引っ張り出してきて拾い読み。
『西洋哲学史』のキモは下巻、近代欧州哲学のところにあるのだけれど、中世神学に関しては上巻、スコラ哲学のあたりにあるのでその辺を拾い読み。
あらためて思ったけど、中世神学のページ数は驚くほど少ない。
古典哲学の1/3にもみたない分量で、上巻は事実上古典哲学の巻になっている。
それでも簡潔にまとまっているのはさすがヘーゲル派の碩学たることを伺わせてくれる。
唯名論実念論の対決、調停、なんていうのは、近代以降の観点で考えると、理屈あそびを延々とやっていた時代、のように見えてしまうし、実際そのあたりが「暗黒の中世」→「光のルネサンス」というイメージになってしまうんだろうけど、逆にその理屈のこねまわし部分に興味があると、それなりに面白い。
特にアンセルムスからアベラールへとつながる流れは、中世神学や、そのあとにくる神秘論、魔術論とからめてみるとすこぶる興味をひく。
中世神学が信仰の一環、もしくは宗教談義で議論されている間は甚だ退屈だが、それがひとたび哲学の、思考の領域に入るやとたんに輝き出すのだ。
残念なことに、そのあとにくるニュートン物理学によって「無意味な議論」になってしまったのではあるが。
アベラールが39歳のとき、17歳の美貌の教え子を孕ませてしまい、怒りに燃える彼女の親族に断種され、その後有名な往復書簡を残した、というようなエピソードが今では哲学の内容よりも有名になってしまっている感があるものの、やはりアンセルムスとアベラールの考え方の同質性と異質性については、いろいろ教えられることも多い。