火星の月の下で

日記がわり。

◎『乱歩奇譚』第5話「芋虫」

感想等は既にアニメブログにアップしたんだが、ついった等で少し話題になっているみたいなので、蛇足気味ではあるけど少しだけ追加。
・申し訳程度の芋虫。
最後の復讐の処刑映像が出てくるまで「どこが芋虫?」状態で単に「須永」「時子」という名前を借りただけかな、と思っていたら、最後で申し訳程度の「芋虫」素材。
でもまぁ、地上派放送を考えるとこの辺が限界だよな、というのはアニメブログの方でも書いた。
その辺に関してはあんまりとやかく言いたくないし、前回の「二十面相」での黒蜥蜴の扱いとかを見てると、乱歩作品の再構成、アニメ化とかではなく、素材としての回顧のように見える。
テーマとしては不足感があるけど、記念作品という扱いならこれも可かな、といったところ。
・殺人鬼二十面相。
これも素材を借りているだけなんだけど、少年小説で多く登場し「殺さない」ことを信条にしていたのでこの扱いは素材としてもどうなのか、という気持がかなりある。
ただ二十面相の正体というか実体についてはまだ立ち入っていないので、今後の描写を見てからの判断でもいいだろう。
手法として、単なる集団心理の投影のようにも見えるだけに。
・「狂鬼人間」との関係。
視聴後一番最初に連想したのが『怪奇大作戦』「狂鬼人間」のエピソード。
精神鑑定を受けて責任能力がないと無罪放免される、というのを逆手にとった犯罪者と捜査側の苦悩だったが、加害者の人権を過剰に擁護する現行法の矛盾を描く、という手法は、プロットそのものの類似は少ないものの、テーマとしての類似は強く感じる。
もっともテーマも狂人犯罪そのものではなく、正義の執行とそのありようみたいなところにシフトされていたので、あくまで「連想してしまう」という程度に過ぎず、オリジナリティは十分にあったと思う。
ただ作り手側の頭の中には当然この「狂鬼人間」は入っていたろうとは思うけど。
・「狂鬼人間」の時代。
「狂鬼人間」が放送されたのは1969年、昭和44年。
後に欠番扱いされてしまうが、この頃はまだ放映が可能であった。
同時に世相に漂う閉塞感。
これらが後押ししていた側面もあるかもしれないが、狂人が登場する作品はそれほどまだ問題視される風潮でもなかったように思う。
ただこのエピソードは単に素材として扱っただけでなく、法律、犯罪との関連や、狂人に対する切り込みがあまりに深かったため、後世のやり玉に挙がってしまったのかも知れない。
欠番になった明確な理由は『ウルトラセブン』の「遊星より愛をこめて」ほど明確にはされていないけど、なったのも仕方ないかなぁ、という気にさせてくれる暗く、深くて重いモティーフが扱われている。
・『秘密指令883』第17話「栄光の甘い香り」
「狂鬼人間」の2年前、『883』で知能犯が没落し、最後に狂気の中に沈んで幕切れとなるエピソードがあった。
演じたのは『怪奇大作戦』で主役級の岸田森
『ドクトルマブゼ』の最後を思わせる、狂気の中の没落、というしめくくりは、素材としての類似でありテーマとしての類似ではなかったが、狂気がテレビドラマの中で視聴者を震撼させるモティーフとして認知されていたことを思わせる。
犯罪者が狂気に沈む、というラストは「狂鬼人間」を暗示している、と見えなくもない。
類似作品や、狂気と犯罪をテーマとするドラマは他にも探せばいろいろと出てくるだろう。
そういった深淵の闇に連なる表現として、良いエピソードだった、といったところでしめくくっておく。