火星の月の下で

日記がわり。

○訃報、平尾誠二氏(53)

ラグビー元日本代表監督 平尾誠二さん死去 53歳」
(p://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201610/0009596338.shtml)

ラグビー日本代表などで不動の司令塔として活躍し、代表監督も務めた神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二ゼネラルマネジャー(GM)が20日午前、死去した。闘病生活をしていた。53歳。京都市出身、自宅は神戸市東灘区。

ガーン、頭を殴られたようなショック。あの平尾が・・・。
まだ53歳・・・わたくしよりもかなり若い、そんなラグビー界の巨星が落ちてしまった。ニュウスを見たとき、しばし呆然。

平尾氏は京都・伏見工高3年時に全国大会を制し、同志社大では史上初の全国大学選手権3連覇を達成。
1986年に神戸製鋼所に入社した。
神戸製鋼では3年目からチームを日本選手権7連覇に導き、ラグビー人気を支えた。
また、日本代表として87、91、95年のワールドカップ(W杯)に3大会連続出場。91年時は主将を務め、日本のW杯初勝利に貢献した。日本代表キャップは35。

経歴がいろいろと上げられているが、ワタクシは今まで見てきたラグビーシーンの中で、忘れられない場面が5つある。
1.近鉄・坂田の日本一。(1975_01_15)
2.同志社大学・大学選手権初優勝。(1981_01_03)
3.新日鉄釜石V7。(1985_01_15)
4.神戸製鋼V3、奇跡の逆転優勝。(1991_01_)・・・最終的に7連覇。
5.日本代表、W杯で南アフリカに逆転勝利。
このうち2つに平尾が関わっている。
神戸製鋼の7連覇は釜石の7連覇に比肩する大偉業だが、ワタクシには1年目でも7年目でもなく、あの3年目のイアン・ウィリアムズの逆転独走トライが一番のインパクト。
たぶん社会人大会、トップリーグを通じて、一番衝撃を受けたゲームでもある。
平尾は、松尾(目黒−明治−釜石)、坂田(洛北−同志社近鉄)とともに日本のスーパースターと言っていいプレイヤーだった。
この3人の輝きがあまりに大きいので、W杯で南アを破って活躍した歴史的名選手達でさえ、この輝きという点ではこの3人に劣るような気がする。
伏見工時代からプリンスと言われ、クールでセンスの良い「才能を感じさせる」プレイヤーだった平尾。
だが彼は史上最年少日本代表キャップを取った同志社大2年(このとき19歳4ヶ月)のその2ヶ月後に膝蓋骨骨折、靱帯断裂の怪我をして絶望の淵に立たされる。
しかしそこからリハビリを続けて這い上がり、またもや日本を代表するプレイヤーになるのだ。
平尾の根性、努力という、あまり語られない側面だと思う。
ともかく、その若すぎる死にただただショック。
深く哀悼の意をこめ、合掌。
なんて悲しいニュウスだ。