火星の月の下で

日記がわり。

ヲタのシェークスピア

昭和8年刊行の「中央公論社版・坪内逍遥訳ヂョン王(シェイクスピア)」の序文に面白いエピソードが紹介されている。
「有名な将軍マーボローは、わが座右の愛読書は只二種、修身処世のためには『バイブル』、わが国史を知るためには、シェークスピヤの史劇あるのみ、という意味の事をいった。読書人ではない軍人としては、多分、正直な告白であったのだろう。シェークスピヤの英国史劇は、正にそれほどに、イギリス国人にとっては、つい百年ほど前方までは、恰好な正史の入門書であったのである。」
また、これはどこで読んだのかちょっと失念してしまったけれど、ある無学な男が芝居好きの友人に誘われて初めてシェークスピアを観劇したときにこうもらしたという。「なんだ、この劇のセリフはことわざばっかりだ」と。
もちろん、ことわざが先だったのではなく、シェークスピアのせりふの大半がことわざとか箴言とかになってしまったわけで、ことほどさように、英語の中におけるシェークスピアの占める場所が大きい、そのセリフの一つ一つが、人口に膾炙し、単なる文学作品を離れて、ことばそのものに変わっていった、というようなたとえとして描かれている。
多少の誇張はあるだろうけど、そういうことなのだろう。
今現在、アニマックスでガンダム*1の再放送を見てると、この「ことわざばっかりだ」という無学な男の言を思い出してしまうほど、いろいろなところで引用されているセリフにぶつかる。*2もちろん、1979年の放映時、既にヲタ大学生だったのでリアルタイムで見ていたわけで、個々のシーンはしっかり覚えているものの、この後付けによる、既視感とは全然違う「ことわざばっかり」感覚がどうも頭から離れない。
ガンダムのセリフに名セリフが多いのは確かだけど、それほどでもないセリフまでいろいろと引用されるようになっている。シェークスピアと比較するのはちょっとアレだけど、「ヲタクの世界」で、という限定をすれば、題材(パロネタとも言うが(笑))としてほとんど全てのセリフが引っ張ってこられてしまっている、という点で、何か近いものを感じてしまうのだ。
まぁ、とにかく初代ガンダムは面白かったし、今の種デスは際限なくつまらん、ということなんだけどね、ってどういう結論なんだよ。(^_^;*3

*1:もちろん、ファーストとか無印とか言われる、一番最初の作品。1979年

*2:11日の放映分は、第19話『ランバ・ラル特攻』と第20話『死闘!ホワイトベース』だっただけに特にそう感じられる。

*3:正直に言わせてもらうと、あんなのに「ガンダム」を名乗ってほしくないんだけどなぁ。