火星の月の下で

日記がわり。

△負の選択

選挙が近づいてくると、いつもぼんやり考えてしまうことがあって、なぜ「この国を良くしよう(したい)」などと思うのだろうか、ということだ。
特定人種のみの利益のために成立している利権構造国家で、良くなる、なんてありえないでしょう。
ならば、「こんな国、つぶれてしまえばいいのに」という負の感情というか、負の選択が起こってもよさそうなのに、そういう声はあまり聞かない。
たまたま私の情報範囲内に入ってこないだけなのかもしれないけど、今回のように、いままでと一風変わった選挙になりそうな、それゆえ多彩な意見が出ている中にあってさえ、どうもそういう見解には触れられていない。まぁ、感情にまかせた「どうだっていいよ」みたいな意見ならそこかしこにいくつでもころがってはいるけど。
そういう感情になる要素の一つとして、死生観と子供の問題があるだろう。いや、たぶんそれ以外にもあるのだけど、まずパッと思いつくのがそこ。
自分が死んでしまったらおしまいなので、死んでしまった後のことなんかどうでもいい。死後の世界とか、輪廻とか、その他もろもろの宗教的逃げ道なんかはハナから信用もしてなければ、軽蔑すらしている。結婚はしてないし、する気もない。もとより日本女のような淫売女なんかと肌を触れたり話したりなんかしたくない(2D上は別だが)。当然子供はないし、欲しいとも思わない。高級官僚と世襲代議士が搾取するだけの社会なんざ、嫌悪感はあっても、良くなってほしいとも思わないし、良くなる、というのは、そういう連中にとって良くなる社会だと思ってる。そういう人種はけっこう多いと思うんだけどなぁ。
その種の人間というのは、往々にして理解されないから、「寂しい人だ」とか「可愛そうに」とかいう言葉でないと分類できなくなってしまうわけなのだが、実際にそういうサイドへ近づけば、そういう言葉でしかまとめきれない知性の停滞が、なんとなく猿に近いような気がしてくるのだ。
そういった、自分が死んだ後くらいにきれいさっぱりぶっ壊れて、異民族の奴隷になってるか、国土が滅亡してしまっているような選択を希望する、そういう負の選択肢が考えられないだろうか。もっとも、どれを選んでもそっちへ転がっていってるよ、という意見もあるだろうけど。(笑)