火星の月の下で

日記がわり。

アリスと驚異と輪舞曲

新番組・第1陣『永久アリス物語』スタート。
関西では今のところ『マジカノ』をやっていないので、これが新春・新作1発目。
第1話から詰め込みすぎな感じで、そのわりにはさほど濃い印象もなかったこともあって、物語とか作品性とかはもうしばらく見てみないとわからない。絵はそこそこ好みではあるんだけどね。
作品云々の感想の方はアニメブログの方で書いたので、ここではそのモティーフについて少しだけ。
作品中で使われていた「メルベーユ・スペース」につて。
原作を読んでないので、どういう意味づけかはさっばりなのだが、幻想文学ファンとしては、トドロフやスタインメッツ、カイヨワといった、フランス幻想文学の解釈者達が「fantastique」のテーマ領域として持ち出してきた「驚異(merveilleux)」というコトバを連想させてくれてなかなか楽しい。
独・英・露・北欧諸国のように、民族文学の中から近代文学としての独自の幻想文学を生まなかったフランス*1の事情を反映していてなかなか面白い。
さらに、この「驚異」は前近代の幻想文学とともに、初期SFとも境界を接していた。
今日において、幻想文学とSFのテーマとしての差異はいささか別のところに移ってきたけど、この「驚異」の存在はけっこう重要であると思う。
さて、もうひとつのコトバ、「輪舞曲(ロンド)」。
これも第1話を見た限りなのでまだまだ憶測の域を出るものではないけど、有人→ありす→きらは、と相手が切り替わっていって、そして次回はこの後、きらは→キサ、という流れになっていきそうなので、これまたシュニッツラーの『ロンド』を連想させてくれる。一場ごとに、A→B、B→C、C→D、と情事の相手が入れ替わっていき、最後に再びAで円環がとじられるこの退廃劇は、世紀末〜表現主義直前の、けだるい維納の雰囲気がつまっていて、見ている人を世紀転換期、黄昏迫る落日のハプスブルク帝国の首都に連れて行ってくれるような名作です。
『血とバラ』のヴァデム監督始め、何度かフランスで映画化されていますが、維納の香気は、やや薄められていると思う。ま、名画には違いないけどね。
まだ第1話で材料がまかれただけかもしれないので、期待しすぎ、っていうのは自覚してるんだけど、こういった材料にいろいろと妄想させていただくのも悪いことではないと思うので、とりあえず記録しておく。

*1:近代フランス幻想文学というものが、まったくなかったとか、そういった伝承が皆無だったとか言うのでは、もちろんない。カゾットの先駆性や、近代性といっていいか微妙だけれどバロック時代の幻想ものの意義は、少しでも損なわれてはいけないだろう。ここでは、独・英の幻想文学流入してくるまで、文学の主流、主潮となったことがない、もしくは底流としての太さが独・英に比べて希薄だった、という程度の意味である。