火星の月の下で

日記がわり。

学生時代には戻りたくない

世代のせいだろうね。
時をかける少女』とか『らき☆すた』のDVDパッケージとかで、高校時代への郷愁とか、あの頃に戻りたい、いやああいう高校時代を送りたかった、っていうような意見がチラチラ載ってて、そういう感想自体は別に人それぞれなんでよろしかろうと思うのだけど、どうもそういう声が大きすぎる。
みんな幸福な学生時代をすごしてきたのね。(^_^;
わたしゃもう2度と中学・高校時代には戻りたくないよ、思い出したくもない、というべきか。
大学時代もそんなに戻りたいとも思わないけど、大学くらいになってくると、かなりの自由度があって、嫌なことも多かったけど、少ないながらも良いこともあった。
大学院時代となると、やはり時代が近いだけあって、良い思い出の方がだんだん多くなる。
小学校時代はまあまあ幸福かなぁ、なにも知らなかったから、っていうのもあるけど。
でも中学・高校時代っていうのはもう悪夢の時代で、2度と戻りたくないし、極力思い出したくもないのだ。
個人的に嫌な思い出、っていうのももちろんあったけど、なんといっても、学園紛争と左翼思想の風潮、そして悪書追放運動。
とにかくマルキシズムをひととおり勉強してないヤツは学問やる資格がない、みたいな雰囲気が濃厚に漂ってて、幻想文学表現主義なんかをチマチマ読んだり鑑賞してると「それは逃避だ」みたいなことをけっこう言われた。
「おまえらの方が芸術と創造からの逃避だ」とは腹の中で思ってたけど、なんせ圧倒的な数の力で、そんなことを言おうものならどんな仕打ちをうけるかわからん雰囲気があった70年安保直前の頃のこと。
今の、どちらかというと、サヨクが数的に劣勢になっている時勢の中で育った人には想像もつかんかもしれんが、「反抗する精神」というのが、みんなマルキシズムを理論的柱にしているようなところがあった。
もちろん、当時の反共意識の中にはもっと幅広く深いものもあったけど、中学高校レベルではそういうマルキシズム側の声の方が大きくなってしまってたのだ。
そしてもうひとつ、何度目かの悪書追放運動。
中学になったら、まんがを読むのが罪悪になった時代。
PTAとかが率先して、校門でカバンをチェックして、マンガがあったら全校生徒の前で反省文を読まされる、なんてどこのファシズムだよ、みたいなことが行われていたのだ。
私らの時代には地域によってかなり差があったみたいで、大学に入っていろんなヤツに聞くと、うちみたいにめちゃくちゃ厳しかった地区と、教師も一緒になってまんがを読んでた地区とがあったので、地域差の悲劇だとは思うけど、とにかく辛かった。
連中の理論である、「まんがを読むとバカになる」というのに対抗する目的で一生懸命勉強した。
そのおかげか、中学高校と成績は上位5位には確実に入ってたし、大学も一応日本のトップランクと目されているところに入学できたけど、それは悲しい抵抗の一環に過ぎなかったので、もう苦しくて苦しくて仕方のない中学高校生活だった。
アニメ(そのころはテレビまんが、っていわれてたけどね)もまんがも、小説や戯曲と同じように好きだったので、とにかくその楽しみを奪われない一身で勉強もしてたわけ。
そんなわけで、あんな辛い時代にはもう2度と戻りたくない、っていのが正直なところ。
幸いなことに、うちは両親がそういったことにはわりと理解のある方だったので、家庭ではまんがも読めたし、アニメも見ることができた。東映まんがまつりも行くことができたし、投稿なんかが見つかっても、賛同こそされなかったものの、禁止とかにはならなかった。
小学校の友人で、すごくまんががうまくて、ともにCOMなんかに投稿したりしていた幼馴染がいたけど、彼なんかは成績はすごく良くて、灘から現役で理3へ行ったけど、家庭は普通に厳しく、中学にあがるとまんがは取り上げられてた。
加えて経済的なものもあって、高校生のバイト、なんてまず認めてくれなかった。いわんや、中学においてや、である。そんなわけで、大学に行って、バイトで自分の自由になる金が入る、アニメも深夜映画も見れる、マルクスかぶれに説教されなくてすむ(いたけど、近づかないようにはできた)・・・もうまるでパラダイスだったよ。
そんなわけで、私は中学高校には戻りたくないし、恋に青春に、なんていう異世界物語に入っていく、なんてのは2Dを3Dに置き換えてるような不自然さを感じてしまうので、絵空事の話としては面白いけど、ああいう中に入りたい、とは決して思わない。
二次元の方が格段に良いし、自分の金で本が買える、まんがが買える今の時代の方が絶対に良いからね。