火星の月の下で

日記がわり。

古事記『序』偽造説

いろいろ新聞類を整理していると、まんたん38号にOblivionの記事が載ってて読んでみる。
ニュースサイトで取り上げてる人も多く、私が一番最初に見たのは楽韓ウェブの管理人さんだったけど、その後いろんなところでやってる人を見る。
最初オンラインゲームかと思ったけど、RPGだったのね。
とにかくとんでもなく時間がかかるみたいなので、人生の残り時間が少ない人間としては、ちょっと手は出せないね。
ただ記事を読んだ限りは、ハイファンの舞台にローファンを流し込んでる感じだから、20年若けりゃ私もとびこんでいたかもしれない。・・・と、こう書いてみたところで、今の若い人にはローファンとハイファンの違いなんてたぶんわからんだろうけど。(^_^;
さて、もうひとつ、今日の毎日夕刊から。
ネット上を軽く探してみたけど、見つからなかったので、まだアップされてないか、見つけにくいところにあるか、なので、リンクは貼らないけど、千葉大教授という人が書いてた「古事記『序』偽造説」。
ザッと読みなんで詳細には拾ってないけど(そもそもインタヴュー記事みたいな構成だったので、そんなに厳密な記述でもなかったけど)なかなか面白い。
古来言われてきた、書紀と同時期に、かなりテイストの違う史書として書かれた古事記は偽造説がいろいろとあったけど、これは序文が偽造だ、というもの。
面白いので、ぜひ関連書籍とか見つけたら読んでみたいもんですな。
ただまぁ、奈良に引っ越してきて、中和以南の人とけっこう知り合いとかになってくると、「多」という姓の人を見かける。
これ、ご存知「太安万侶」を産んだ太氏の後裔で、ずっと後の史書で「太」→「多」に姓の字を改めたことが記載されている。
太安万侶墓誌が発見される前から、この大和の地にこういった氏族が住んでいたので、感覚的には太安万侶はある氏族集団の長として、ある時期重要な地位にいて存在していたんだろうなぁ、っていう感覚はけっこうあったわけだ。
もっとも、その頃はまだ奈良に移住する前だったけど。
古事記に関しては、柳田がかつて紹介していた「稗田阿礼・女性説」というのもあって、こっちもなかなかひかれる説だったけど、現在の学界ではどうなってるのかな。
容認されているにせよ、否定されているにせよ、柳田以降の「稗田阿礼・女性説」について、なにかまとまった文献があれば読んでみたいと思っている。
ただ、史書、及びその手の解説書は高いから、書名を確認したら大きな図書館へ行って、って流れになるかもね。