火星の月の下で

日記がわり。

少女コゼット・第41話エポニーヌの恋

最初の頃、衛星のフジで何話か見落として、そのままズルズルいってしまったもんだから、結局視聴録画はアニマックスでやってたわけだが、昨日第41話「エポニーヌの恋」が放映されて、しばし見入ってしまう。
衛星の方の本放送は既に全話終了してるので、時期はずしも甚だしいんだが、まぁ、こっちのサイクルで見ているので、仕方ないかな。
で、その、エポニーヌの話。
マリウスの腕の中で死んでしまうわけなんだが、けっこうグッとくるね。
幼女時代からのいぢめっ娘、と言っても、かなり女の子の自我みたいなのをしっかりと描いていたので、弱さも強さもしっかりあって、しかもある程度それに対しての自覚がある、というあたりに、近代的な人物像を感じてしまうわけで、いい仕上がりである。
原作をなぞりながらも、かなり取捨選択が激しい本作だが、このエポニーヌの描写はけっこう良かったと思う、というか、もう原作読んだのって数十年前なので、細部の記憶はかなり怪しいところではあるけれど。
それに関して、革命の描写についていくつか考えるところがあった。
本作はフランス革命からだいぶ後の設定なので、フランス革命そのものではないけど、若者が政治運動に情熱を燃やす描写は、革命ものにおけるフランスという場所の重要さを考えさせてくれた。
欧州における市民革命は、まず英国に起こり、無血革命という形で国王を退位させる。
正確には、その後もいくつか内戦もあり、国王制度も復活し、権力の委譲についてもいろいろ紛争があったが、その発端は貴族対市民*1による「おとなの解決」といった側面がかなり強い。
続いてフランスで起こった革命は、まさに暴力革命で、国王一家をギロチンにかけ、恐怖政治にまで発展するが、一応権力の委譲は行われ、世襲王政は一旦幕を引く。
言ってみれば、「青年の革命」だった。
そして、ドイツ領邦諸州、オーストリア等の帝国で起こった市民革命。
こっちは市民階級の成熟にも関わらず、政治的未成熟で、いくつかの暴動レベルで終ってしまい、権力の委譲へは、まだ半世紀あまりの時間を要することになる。
つまり「子供の反抗」程度に終ってしまう。
20世紀になってからのロシア革命はかなり性格を異にするので少し置いておくが、欧州に起こった3つの革命を見ていると、ドラマになりやすいのは、たしかにフランスだろう。
図式がわかりやすいし、行動が青年的で、結果、関わる人物を青年層に設定しやすい。しかも最終的には革命は成就するのであるから、歴史的な成功は予定されている。
もちろん日本におけるマンガアニメの伝統、というか歴史というか、その中で『ベルサイユのばら』が果たした役割の大きさ、それに引きずられて革命というとフランス、みたいな図式もあるにはあるだろうけど、共産主義者で、ドイツ、ロシア寄りだった池田氏をしてフランス革命に向かわせたのは、ドラマの場としての効果、も相当あっただろうと思う。
本作はもちろん、フランス文学の名作を原作とはしているが、描写手法としては、そういう政治的局面に面しても、日本やロシアのようなドロドロした政治ものにならない、という効果は相当にあるのではないか、と思う。
まぁ、そんなどーでもいいことをツラツラ考えながら、エポニーヌもええのう、と思いながら見ていたのであった。

*1:もちろんここで言う市民とは、有産市民、ブルジョワジーのことであるが。