火星の月の下で

日記がわり。

新聞休刊日に思う

本日は新聞休刊日、ということで、早朝に新聞受けを見ることもなく、「別にいらんなぁ」という想いがあらためて強くなるときでもある。
実際、必要なのは、チラシとテレビ番組、それに将棋欄だけ、という状態がもうだいぶ続いているのだが、しつこく購読している。
嘘ばっかり書いてる新聞、特に朝日や毎日なんか、購読することがその捏造体質を助長しているような気もするので、つぎの引越しのときにはもうやめるかもしれんけど。
ということで、その休刊日について、ひとつ思うことを書き残しておきたい。
それはあの阪神大震災のときのこと。
東京から大阪に転居して数年、あの震災は起こった。
幸いなことに、当時、奈良に来る前に住んでたマンションが大阪だったこともあって、マンションはなんとか無事、部屋がぐちゃぐちゃになったくらいで、人身被害も皆無だったのだが、ともかく当初、情報に飢えていたことだけは昨日のように思い出せる。
そして、あの月曜日も新聞休刊日だったのだ。
直撃で被害にあった神戸新聞は臨時に活動していたらしいけど、その他、大手新聞大阪本社はしっかりと休んでました。
報道体制でも、NHKとSUNだけはまともに現地報道だったけど、それ以外は他人事報道で、かなりの誤情報も、メディアによって流された。
報道社員の汚らしさを実感、体感としてしっかりと教えてくれたのもあのとき。
それ以前から、東京時代に非常に不愉快な取材を受けたこともあったので、信用はしてなかったし、好感もなかったけど、ああいう命に関わる場でのあの姿勢に対しては、むしろ殺意に近いものさえ感じてしまった。
毎年、1月17日になると、判で押したように震災特集をやって、飯の種にしているようだが、連中の謝罪のことばを聞いたことはついぞない。
むしろ自画自賛を聞くばかりだ。「あの災害でもしっかり報道しました」と。
誤情報で死んだ人たち、救援道路を陣取ってしまって物資が遅れ死んでしまった人たち、その救援物資や衛生物資を消費されてしまい、不衛生な中で死んでしまった人たち。
いったいどれくらいの人たちが、あの新聞社や報道陣によって殺されたのだろうか。
親戚が4人死んだ。その中には、ああいう報道陣によって殺された者がいたのかも知れない。
新聞休刊日で思い出すのは、あの阪神大震災のときのことである。