火星の月の下で

日記がわり。

○読み専、買い専、見る専

隣人さんのところであったネタで、創作サイドにいる人間と、「読み専、買い専、見る専」との間には温度差がある、みたいなことについて、ちょっと関連して思ったことを少し書いておく。
最近のマンガは、もうデヴュー直後から即・分業体制に入る人もいるみたいなので、あてはまらないところも多いだろうけど、『COM』の時代から前世紀の末ぐらいまで、マンガにおける「絵と物語の比重」という点で、この創作と「読み専、買い専、見る専」の差に近いもののような感覚があった。
つまり、創り手は「絵」を重視し、読み手は「物語」の方を重視する、かなり極端な言い方だけど、まぁ、そういう感じである。
誤解のないように書いておくと、創り手が物語りを軽視しているということでもなければ、読み手が全てにおいて物語の方を重視している、という意味ではない。あくまで程度問題、比重問題。
分業体制がはっきりしてくると必ずしもそうでもなくなるんだけど、現場で描いてる人間としては、物語をどう画面の上に展開してみせるか、というのが焦眉の急であり、読み手、もっと言うと評論家サイドでは「どんなお話なのか」の方に興味をもっていかれる、というもの。
『COM』時代に既にこういう萌芽のようなものがあって、石○順やその他の文章家なんかが物語構築やコマ展開についてばっかりで、絵について何の考察もしていない、という意見が、「ぐらこん」でよく耳にしたのだ。
日本ストーリィまんがの歴史において、最初の転換点が手塚治虫の登場だとしたら、2番目の転換点は劇画の登場だったろうと思う。
このときも評論家連中は、「リアルな話」の方に論陣をはって、「リアルな絵」については指摘するにとどまっていたように思う。
当時、描かない人がなぜ絵について語らないのか、という違和感がかなりあって、「絵」についてのみ語ることが、軽いことのような風潮ができあがってしまっていた。
70年代から80年代にかけても、絵の嗜好そのものは各人それぞれ強固に持っているにも関わらず、それについての分析、解析といったものは、実際の創り手の現場サイドを除くと、かなり少なかったように思う。*1
絵と物語はまんがの両輪であり、どちらか片方に比重がかかってもあまり芳しい結果にはならないはずだ。
もちろんそんなことは、現場の人間はよくわかっているので、どっちかに偏ってしまう、というのはかなり稀だし、そもそもそんなことをやっていれば飯の食い上げなのだから。
これに関して「まんがの物語」サイドから見てみると、時代が変わったなぁ、と思えることもあって、先日もどこのサイトだったかちょっと忘れてしまったのだが「漫画を描く人は漫画だけを読んではいけない」と書いているところがあった。
これを見た瞬間、「え、それは違うだろ、漫画家は漫画を読むべきなんじゃないか」と思ってしまったのだ。
しかしこの文章の言いたいことは、たぶん「まんがだけじゃなく、小説や映画もしっかりと体験しておけ」ということだったように思う。
このあたりが感覚の相違で、我々がまだ修行時代だった頃、そして現役だった頃、代表的な文学作品や映画は好き嫌い関係なく、読んでてあたりまえ、みたいな風潮というか、意識があった。
シェークスピアの全作品に、ラシーヌゲーテセルバンテストルストイドストエフスキー、さらにアシモフ、スミスに、クイーン、ヴァン・ダイン、クリスティ、といった娯楽文学にいたるまで*2、名作と名の付くものは読んでてあたりまえ、という意識だった。映画についてもそう。
しかるに最近の描き手は漫画しか読まない、文章は読んでもラノベだけ、という状況なのだろう、かなり推測だけど。
もちろんそうでない人たちが現役でがんばってくれている、と思うけど、そこにたどりつく前の人の意識が変わってきている、ということなんだろう。
我々の頃は、そういった名作の基礎情報の上に、さらに最先端の漫画を読んでいかなくてはならない、という認識だったので、漫画家が漫画を読んでなくてどうすんだ、みたいな意識になっていたのだ。
他の漫画を読む、ということは、物語の処理もさることながら、その絵を読む、というこでもある。
単にキャラの造形やアングル、といったものだけでなく、コマの展開、動きの見せ方、仕込みの配置等々。
たぶんに技術的側面になってしまうけど、その技術の蓄積こそが大切、それゆえ、多くの漫画は読むべきだ、というのが、我々古い世代の感覚である。
横道それまくりだが、まぁ、個人の日記なんで、別になにかを主張したいわけでもなく個人の日々の感想を記録しているので、という逃げを打たせてもらっておくが、創り手でなくても、物語だけでなく、もっと絵を読み込んでほしい、と思う。少なくともなにか一家言ある人は。
単にキャラが可愛いとかカッコいいとか、アングルが大胆だとかデッサンがうまいとかではなく、まんがの絵の技術に肉薄してほしい。
描かない人は、たぶん「描けない自分が言っても」という意識があるのだろうけど、たとえ我々経験者であっても、自分より数段うまい、別次元にうまい人でも批評、評論はしてきたし、可能だと思う。もちろん、罵倒、中傷の類は論外だが。
「まんがの絵」についてなにか語る、というのは、物語についてあれこれ語るより数段難しい。好き嫌いを言ってるだけなら簡単だけど。
私は自分が絵が描けないという人でも、絵についても物語と同じだけしっかりと「読み」こんでいる人は尊敬するし、そういう人の批評、評論読書感想なんかは読んでいて快感である。
まぁ、世間的には一般受けしないんだろうけどね。(^_^;
朝から歯が痛くて、支離滅裂な文章になったなぁ、まぁ、いつものことだが。

*1:もちろん『究極』のように、全然なかったわけではない。

*2:煩雑になるので、日本ものはあげなかったが、当然、源氏から西鶴、秋成、漱石、龍之介を経て、乱歩に三島、等々も、基本中の基本である。