火星の月の下で

日記がわり。

▽新聞は文章として正しいか

若者に見捨てられた新聞に未来はないのか?

新聞の落ち込みが止まりません。1997年に発行部数がピークアウトして以来、微減が続いていましたが、
ここにきて、新聞はマスメディアの凋落(ちょうらく)に拍車をかけているように見えます。
片翼を担っていた新聞広告費の落ち込みは止まらず、2008年は前年比12.5%減。(電通日本の広告費」)
インターネットの広告費に追い抜かれるのは、時間の問題となりました。
またもう一つの凋落の担い手が、20代の若者。過去10年間で、世代別の定期購読率が20代前半で約30ポイント減と言われていますが、ここにきてその数字はとんでもなく大きくなっているかもしれません。

いろいろ書いてあるんだけど、内容について全然触れてない点、自浄作用もなければ、危機分析もできてない、という感じだな。
もう今の若い連中は、朝日の左翼的捏造と、ヘンタイ毎日の件で、どんなに新聞が信用できないか、というのがわかってしまった、というのが大きい。その辺の分析ができてない以上、所詮自己弁護にすぎない遠吠えだろう。
いまや新聞の価値は、広告チラシとテレビ欄、それにこの記事でも少し触れられているが、俯瞰的な見出しにしかなくなっている、というのが実情だろうと思う。
だが、ここにも変革の波は来ていて、まず、もうテレビ欄が不要になりつつある。
都市部ではテレビ雑誌を見た方が省略も少なく*1、情報量が多い。
地方ではCATVに移行していると、そっちの番組表の方がはるかに有効で、新聞で確認する意味はかなりうすくなっている。
次に折込チラシ。
これはまだ新聞が優位である数少ない点で、ときどきネットなんかでは「チラシもネットで代用できる」なんていう脳が不自由な発言がときどき見られるが、地域差が大きすぎるので、実質不可能。
たぶんチラシもネットで、なん言っている人は、現実にそういうことを家計の一助にはしていない人だろう。
だが、まだごく一部だが、地方によっては、チラシ専門宅配のようなものが生まれつつある。これが完成すると、ここでのメリットも近いうちになくなるのではないか。
そして最後に見出しの俯瞰。
上の記事にもあるが、ネットでニュースを取捨してると、自分の好むジャンルばかりになる、というのがあって、確かにネット初心者、10年未満の人だとそういうことも多々起こりうるだろうけど、今のYahooなどの検索系総合サイト(Yahooが良い、と言ってるわけではないので、念のため)でニュース欄なんかに目を通すと、だいたいの流れはわかりつつあるようになってきている。
ましてやネットで確認する人は、そういうサイトを数箇所見ているのが普通だから、偏りは新聞人が思っているほどには大きくない。
もちろん、現時点ではまだそういう総合サイトにも不備はあって、まだまだこれからではあるけど、少なくとも5年前くらいに比べると、かなり広くなってきている。
こういったところのニュース元、源はもちろん新聞系なのだが、これについては本論ではないので、今回は省略。
ということで、メリットとしては、ほとんど折込チラシだけ、というのが現状ではないだろうか。
そこに、嘘、捏造、偏向が入り込んでいるわけだから、常識人ならこんなものに金をかけようとは思わないだろう。
それと、新聞人が誤解している点に、若い人の文章力というのがある。
昔、というか我々の若い頃は、文章を書く、というのはなかなか難しいことで、単に情報を織り込めばいいだけでなく、文法としての正しさとか、知見、きりこみの深さ、まとまり、といったいろんな要素が求められ、それを身近に見せてくれる手本が新聞だった。
昭和30年代〜40年代の前半くらいまでによく言われた「文章の読解は天声人語で」というのは、同コラムの現在の稚拙な文を読まされている人間には笑い話でしかないが、そう言ってしかるべき「文章力」があの中にあったのだ。
加えて、若者もあまり本を読まなかった。必然的に「文章を書ける」若者も少なかった。
大学進学率も20%に満たなかった頃である。多くは中卒、高卒で働いていたから、読めても、「て、に、を、は」を正しく使える者は、少数派だった時代だ。
だが今はどうか。
教育産業にいるせいで、同年輩の人よりははるかに、十代、二十代と接する機会が多い方だと思うが、今の若い人たちは、読書量が豊富だ。
旧世代の人が「今の若者は本を読まない」と嘆いていることがあるが、それは「自分たちがわかる本」「自分たちにとって望ましい本」を読んでいない、ということであって、読書量自体はかなり増えていると思う。
加えて、昔は大学に行く人くらいしかちゃんとした本は読まなかった。
今は駅弁大学や底辺大学が増えているので、「大学に行く人」でもって比較はできないが、昔だったらたぶん行けてないであろう人、というくくりで比べてみても、読書量はかなり増えていると思う。
こういうのはなかなか統計には出てきにくくて、たとえば「本を読みましたか?」と問われて、イメージとしての本が、趣味の本を削ってしまっていることが多いからだ。
読書量が増え、文に接する機会が増え、そしてネットで自分でも書く機会が増え、結果として、マスとしての若者の文章力は、実はかなり上がっているのである。年配者はなかなか認めたがらないが。
それに対して新聞の文章力はどうか。
これはかなり落ちていると思う。
原因はいろいろとあるだろうけど、単純に、1970年以前のコラムと、今のコラムを読み比べてみるだけでも一目瞭然ではないか。
そこに盛られている情報が正しいか、偏向か、と言ったことは別にしても、やはり新聞の文章力は落ちている。
自分よりヘタクソな文章で、しかも偏向が混じっているコラム、なんか普通は金をもらっても読みたくはないだろう。
こういったことを思うと、今回の上の記事にしても、若者に「もっと新聞を読んでほしい」と言いつつも、なぜ読まれなくなったのか、という原因、特に新聞の内部にある原因に目をむけてない以上、空鉄砲に終わるのではないか。
新聞を読んでほしいのなら、
1. あからさまな偏向、捏造はやめる。
2. まともな文章を書ける人材を育てる。
3. 公明正大にして、だれが書いているかをはっきりさせる。これは単に記者の氏名を記すだけでなく、どういう思想背景で、年収、国籍、出身大学が(その記事の中にはなくてもいいけど)調べればすぐにわかるようにする、ということだ。
まぁ、こういうことがちゃんとできていれば、現在の惨状、そしてこれからも続くであろう減退は引き起こされなかったろうとは思うけどね。
ついでに免責として書いておくけど、ここは単純な日記なんで、文章の推敲とかそんなのはしてません。よって悪文だし、上に書いた「良い文章」としての認識ではまったくない。
まぁ、誤字だけは極力ないように努力はしているけど、それとてもあんまりかっちりやってないしね。(笑)
参考。
中日新聞の言い訳
中日新聞では、メールを送信することを「HPに書き込む」と言うらしい。
小学生以下か。(笑)

*1:新聞のテレビ欄は省略が意外と多い。特に深夜などは、題名がわかっていても判別しづらいときさえある。それと、テレビ欄もネットで見た方がわかりやすい、というのもあるが、これは地方と、ネットの使い方(特に世代間格差)によってけっこう変わってくるので、まだこの分野はそれほどネットが優勢でもないと思う。