火星の月の下で

日記がわり。

○24年目の日航ジャンボ機墜落事故

毎年この時期になると原爆と敗戦記念日の間で少しだけ報道される、1985年8月12日の悲劇、日航ジャンボ機墜落事故
坂本九氏を始め、何人かの著名人も犠牲になり、当時の日本人に強烈なインパクトを残した悲惨な事故だったが、この事件の回顧報道がなされるときに思い出すのは、いつも緋本こりんさんのことである。
といっても、緋本こりん、という名前を聞いてもたいていの人には「誰?」状態かも知れない。私も別に面識があったわけでもないんだが、それでもあの事故で思い出すのは、まずこの名前だったりする。
80年代前半のFR誌で、その独特の画風で投稿家たち、読者たちにインパクトを与えていた存在、それが当時大阪在住だった緋本こりん氏である。
正確なデッサン力に支えられた精緻な点描、まさに芸術品のようなイラストの数々に、われわれはため息をついていたものだった。
当時の同人情報に接していた人であれば、大なり小なりそういう感想だったのではないだろうか。
この飛行機がくしくもコミケ帰りの便となって、彼女の未来を奪ってしまった。
今でも、事件から数日して、大阪の同人仲間から「どうやらあの飛行機に緋本さんが乗っていたらしい」と聞かされ、そしてそれが事実とわかったときの衝撃ははっきり覚えている。
上にも書いたように、別に面識があったわけでもないし、この時点で私は同人活動こそやっていたものの、もう兼業漫画家も兼業アニメーターも廃業していたので、特に個人的になにか接点があったわけではもちろんないんだけど、あの時代に同人とかかわっていた者の一人として、あの痛ましい事故には胸を突き刺されたようだったし、遠い同志を失ってしまったような悲しみがあった。
今年も夏コミの季節がくるねぇ・・・。
事故が起こらないことを祈るばかりである。