火星の月の下で

日記がわり。

近代幻想文学の立脚点

このタグで最近書いてこなかったので、そろそろ記載を再開していこうと思う。
個別には、たまっているウィーン夢幻劇あたりから書いていきたいと考えているけど、一応自分なりの定義というか方針を少しふりかえっておきたいと思う。
・近代幻想文学
一応「幻想文学」というタグにしているけど、厳密に書けば「近代幻想文学」で、それもどちらかというと欧州寄りである。ただし、どこの国か、というのは、定義、方針として決めているわけではないので、機会があれば、南米、日本、という、20世紀幻想文学の一大産地についてもなんか描けたらなぁ、とは思ってはいるけれど。
ともかく、ここで言う「近代幻想文学」というのは、漠然模糊とした「幻想文学」とは少し違う。
どう違うのか、といえば、それは個人の存在、ということにつきる。
近代以前の、つまり御伽噺であったり、伝承であったりといった、神話、妖精物語とは一線を画す、ということで、もう少しつっこんで書くと、そこに創作者として個人の存在がある、ということである。
これはつまり、創作者がわかっているかいないか、という意味ではなくて、その中に個人の意思がある程度反映している、ということを意味する。
それゆえ、地域によっては多少前後するが起点としては、17世紀以降に絞られるし、私自身の好みで言うと、18世紀後半以降、ということになる。
だが、そうはいっても、近代以前にも魅力的な幻想文学、作者がはっきりわかっていて、しかも伝説、神話、妖精譚ではない傑作、たとえばハルトマン・フォン・アウエの『哀れなハインリヒ』のような比類なき名作もあるので、定義は厳密にとりたいけれど、選択はそれほど厳密にはとらないつもりである。
・好きなテーマ
好きなテーマ、ということになると、幻視、狂気、怪物、魔法、といったあたりかなぁ、これについては、定義とかとは関係なく、思い付いたまま拾っていきたいとは思っているけど。
ということで、一応自分なりに線引きはしておこうと思った次第だ。
もちろん、ここは基本的には日記なので、あくまで自分のためのガイドラインであって、それに縛られるわけではない、というのは言うまでもないし、当然まったく該当しないものも扱っていきたい、とは思ってはいるが。