火星の月の下で

日記がわり。

モーツァルト弦楽四重奏曲K168-K173 〜ベルリン弦楽四重奏団

LP時代、欲しくて欲しくてたまらなかったのに、購入のチャンスを逃していたベルリン弦楽四重奏団モーツァルト初期弦楽四重奏曲が、2枚組CDで出ていたのを店頭で見かけて購入。
音盤は、ドイツ・シャルプラッテン盤。
ベルリン四重奏団というより、ズスケ四重奏団といってくれたほうがしっくりくる、カール・ズスケが第1ヴァイオリンを担当していた頃の録音(1974-1975)で、通称「ウィーン弦楽四重奏曲」といわれる、モーツァルト青春時代の四重奏曲セットである。
モーツァルトはこのセットを作曲してからしばらく弦楽四重奏曲から離れ、このセット最後のK173の次が、あの弦楽四重奏曲史上に燦然と輝く名曲群、ハイドンセットの6曲となるわけで、確かにあのハイドンセットの身震いするような完成度の高さ、曲想の豊かさ、デモーニッシュな情念、等に比べると、一段落ちるのは仕方ないが、それでもモーツァルト、ハイティーンの感性がみずみずしく、けっこう好きなセットである。
とりわけ第4曲の変ホ長調のK171(11番)と、第6曲のニ短調K173(13番)は、昔バリリSQの演奏で聞いて以来大好きな曲だったのだ。
ズスケのベルリンSQ。
この響きにもある種の郷愁を感じるようになってしまった。
というのも、ここでいう「ベルリン」とは、東ベルリンのことだからで、DDRドイツ民主共和国、通称東ドイツ)の音楽家だったズスケの、当時の西ドイツやエスライヒ、米国亡命のユダヤ系ドイツ人とはまた違った、非常に怜悧な音作りが一種独特の個性を感じさせてくれたからだ。
バリリSQのつややかで立体感のある初期四重奏曲に慣れた耳には、かなり異質に聞こえるが、このズスケの技術と個性も、またひとつのモーツァルトである。
個々の曲の感想はまた帰ってから書きたいと思っているが、ライナーノートの解説が、LP時のものをそのまま転用したらしく、けっこうこのセットに対して辛らつなことが書いてある。
ハイドンセットに劣る、というのはまだしも、その前の「イタリア四重奏曲」に比べても魅力がうすい、みたいな書かれ方で、ちょっとこれはいかがなものか、と思ってしまった。(笑)
個人的には、イタリア・セットの6曲よりも、もっと言うと、晩年の「プロシァ王セット」よりも好きな曲群なのだが。