火星の月の下で

日記がわり。

あんまり思い出したくない業界ではあるが・・・

漫画家を目指した俺が崩壊するまでを粛々と語る
各所で話題になっているみたいなので、わしも便乗して少しだけ感想を書く。
第一印象:「へ?たったそれだけで、心が折れる?」
ワタクシのばやい、昭和40年代の少女マンガ、というとてつもなくハードルの低いところ*1だったので、投稿から商業誌に入るまで、なんかあれよあれよという間で、この辺の苦労がほとんどなかった。今の方が大変だ、というのは当然わかる。
だが今は昔と違って、発表媒体が無数といっていいくらいある、というメリットもあるので、これくらいで?・・・というのはかなりあるなぁ。
ゆうきまさみ氏が、なんかの後書きだったかで「アニパロ誌デビュー・・・簡単だったもんでつい」みたいなことを描いてた記憶があるが、商業誌スタートの選び方によっては、ここまで苦労しなくても、とは思う。
ちなみに、ワタクシが商業誌に描き始めた頃だと、少年誌で定期的に新人投稿を受け付けてくれてるところはなかったように思う。
少年誌はたいてい他ジャンル(青年系、少女系)からの移籍か、弟子筋(含アシスタント)から、というのがほとんどだったような気がする。手塚賞赤塚賞だって、最初の頃は、読者サーヴィスみたいな感じで、プロへの登竜門みたいな位置づけになるのはしばらくしてからだったし。
・年齢の問題。
ちなみに、高校卒業までに商業誌掲載されなかったら、適性は低い、という暗黙の了解みたいなものが当時あったので、ワタクシのように中学デビュー、というのは、けっこうあったように思う。
もちんろんデビューできただけですぐに消えていった、というのも多かったが。
・デビューしてから。
実はこっちの方がデビューよりも大問題なのだが、ワタクシはここでいろいろあって、やめてしまった。
身元がバレるのは絶対に嫌なので詳細は書かないが、いろいろあって、20になる前に筆を折った。*2
そんなわけで、厳しいのはデビューして連載を持ってから、みたいな感覚だったんだが、デビュー前後で、というのは、単に適性がなかっただけ、なんじゃないかなぁ。。。
同僚のアシスタントなんかで、絵はとにかくうまいけど、明らかに適性が欠けてる、という人間も何人か見た。
そしてそういう人たちは、1人の例外もなく、成功していない。このタイプかなぁ、という気がしなくもないけど。
・発表媒体の問題。
20過ぎて商業誌展開できないのだったら、ワタクシなら同人プロを目指すけどなぁ。
今ではコミケ等の同人で描いた方が儲かる、なんて話もちょくちょく聞くし、実際それで生活している同人プロの知り合いも何人かいる。
もちろんこっちもそんなに簡単というわけではなく、プロでも読み間違えると黒字にならないときがあるので、そんなに楽な世界ではないだろうけど。
ワタクシの十代の頃は、ネットはもちろん、コミケすらなかったのだから、そういう選択肢の多さ、という点では今は恵まれている。
この人は、漫画家をやめた今、絵の仕事をしている、なんて書いてるあたり、けっこうぬるい感じもするけどね。
この人の場合、友人やまわりの人間に大見得を切って、戻るに戻れなくなって、みたいなこともあったのかもしれないが。
あと、漫画家になろう、という決意がものすごく遅い。
年齢に関しては例外も若干あるけど、高校になってから、というのは、いかにも遅い。青年誌ならまだしも、少なくとも少年誌では適性に欠けると思うんだが。
ワタクシの周囲にいた人間は、性格は過激なのやら温和なのやら、破綻してるのやら、いろいろいたけど、こと漫画に関しては、ある種の狂気、描いてないと死んでしまう、みたいな本能とかリビドーとかに突き動かされてやってます、みたいな人間が圧倒的に多かった。
この人の文をみてても、なんかそういう破滅思考的なものを感じないんだよなぁ。
普通の人が「漫画が(ちょっとだけ)好きだから目指しました」みたいな感じを非常に強く感じる。
漫画家の裾野が広がったので、こういう普通の人が増えてきているのかもしれないが、それにしても、感性が著しく違うなぁ、というのも印象の一つとして残る。
ということで、昔を少しだけ思い出しつつ。

*1:今の少女マンガ界がハードルが低い、なんてことは決してないので、念のため。技術的には少年系、青年系よりも幾分楽かもしれんけど、適性とかセンスとかっていう面での厳しさは、たぶんワタクシのデビュー当時なんかとは比較にならんので。当時は絵がそこそこ描けて熱意さえ受け取ってもらえれば、わりと簡単にデビューできた感覚だった。

*2:実際は20過ぎてもちょこちょこ小規模なところから依頼は来たので、まったく描かなくなったわけではなかったが。