火星の月の下で

日記がわり。

○萌え系はもうおなかいっぱい、という意見に対して

ロボットものとか、SFものとかの感想を見ていると、ときどき見るこの意見、もう珍しくもない、というか、魅力的な女性キャラが描かれていると、大なり小なりそういう意見に出くわす。
今日はあんまりネタもないので、その辺について思うことを妄想がてらメモ。
長い間、魅力的なアニメ少女に対して意見を述べる、ひきつけられることを表明するのがはばかられる時代があって、そういう時代を通ってきた者としては、今のご時世はまさにパラダイスなのだが、それが面白くない、という人達は、はたして、そういうものが雰囲気として排除されていた時代、感性ということに対してどの程度の認識があるのだろう。
確かに今とは量的にはつりあわないにしても、魅力ある少女キャラはいた。
しかしそういうキャラクターに対してある種の賛同を示すこと、もしくは主眼的に見ていくことに対して、はばかられる空気みたいなものがあって、ワタクシが少女マンガの世界に身を投じた昭和40年代などは、けっこうその空気が強かった。
少年マンガには恋愛対象として女の子がでてこない、という傾向。
少女マンガも古くはそんな時代、母子モノが全盛を極めていた時代もあったようだが、こっちはけっこう早くその呪縛から逃れつつあったようだ。
今では想像もつかないかもしれないけど、編集の人から「学園ものを描きなさい」なんて言われる時代もあって、ワタクシより少し上の世代の人達はけっこう反発していた。
そのあたりが、少女マンガの方が少しだけ早く時代を開いていったようにも見える。
昨今の萌え系に対する批判は、おそらくその現れ方が過剰だから、というものであろう。
しかし、その真逆の時代にいた人間にとっては、あの時代には戻りたくない、という感覚が強いので、小局において、たとえばラノベのタイトル絵がみんな同じになってしまっている、といったようなことに対してはある程度感覚として理解できても、萌え系はもういらないとか、おなかいっぱい、とかっていう意見にはどうも与することができない。
萌え系の内部でも、ひとつでくくられるほど単純ではなく、それなりに進化してきている。
90年代に一世を風靡したあ○ほ○さ○るシステムなどはもうまったく通用しなくなっているし、90年代末から21世紀頭に現れた赤松システムも、そろそろ手垢がついて古くさくなってきた。
一見すると酷似しているが、細部で微妙に違う変化。
こういった微細な変化を楽しめる時代にはなっているのだ。
要するに、萌え系には後退ほしくない、ということだな。(笑)