火星の月の下で

日記がわり。

妖精が人になるのか、人が妖精になるのか

ピーターパンというと、ディズニーのアニメにもなった『ピーターパンとウェンディ』が有名だが、それに先行する『ケンジントン公園のピーターパン』に面白い記述がある。
ピーターパンには誕生日が来ない、というもので、ピーターパンは、生後1週間で寝床から飛び立ち、そこで時をとめてしまった、だから誕生日は永遠に来ない、というのである。
これを見て連想したのが、グリムの収集した『白雪姫』の年齢で、白雪姫は7歳で眠りに落ちる。
白雪姫が長い長い眠りを経て、王子の求婚を受けるわけだが、このとき、それまでの人生と同じ長さを経て、目覚めるのである。つまり14歳。
赤ちゃんは皆かつて鳥だった、という『ケンジントン公園のピーターパン』では、ピーターパンは明らかに妖精として生きていくのである。
対して白雪姫は?
白雪姫の眠りは、実は忠告を破った罰が浄化されるプロセスでもあったわけで、それ以前に、彼女は7人の侏儒の忠告を3度無視するのである。
一度目は紐、二度目は櫛、そして3度目が毒リンゴ。
その都度瀕死状態になりながらもよみがえった白雪姫は、三度目でもっとも長い眠りにつく。
森の賢者たる侏儒の忠告を破ってしまった罪、それは人ならざるものが、人へと進化するための儀式、そのための「それまでの時間と同じだけの長さの眠り」が必要とされた。
妖精は結婚することで人になる、これは『水妖記』にも見られるテーマだが、そこに一つの通過儀礼を伴う、これが白雪姫の、そしてピーターパンの裏に隠れたテーマでもある。
妖精が往々にして、童子童女の姿、あるいは老人の姿を取ることが多い、というのも、これへの暗示があるようだ。
眠いので今回はこの程度。
妖精が人になる、というテーマはたいそう魅力的だ。