火星の月の下で

日記がわり。

△アナログ放送終了

本日正午をもってアナログ放送終了。
うちは10年以上前からCATVにしてたので、地デジはそちらで、今月に入ってさらにデジアナ変換まで始めてしまったので、ケーブルにつないでいる限りはアナログは無縁の状態になっていたので、ひょっとしたら何かあるかもしれん、と思い、アナログテレビを1台だけケーブルからはずして正午の時を待つ。
・・・たいしたことはおこらんかった。(笑)
犬HKで女子アナが「長い間ありがとうございました」と一礼して、告知画面に切り替わっただけ。
この告知場面が今晩日付がかわる時にとまって、それで砂嵐、ということだそうだ。
歴史的瞬間かもしれないとは思うものの、思ったほどでもなく、けっこう味気ない終了であったな。
「地デジ切り替えなんか絶対無理、そのうち方針を転換する」・・・なんて意見もかなり直前まであったようだけど、結局強行してしまった。
某民放局では、権威をかさに来て暴言、暴力ざたをちらつかせることで有名な在日朝鮮人の元歌手が司会を努めている番組で、テレビ放送初期の特集みたいなのもやっていたが、そこも画面角にカウントダウンみたいなのが出てたくらいで、特に何もなく、他の局も大差がないみたいだった。
1953年にスタートした、ということらしいが、ワタクシはまだ生まれていない。
しかしスタートしてすぐ家庭にやってきたのではなく、かなりの時間が経ってからだったので、家庭に普及しだした最初の世代、もしくは少し後、くらいは言ってもいいかな、と思う。
東京オリムピックの頃はまだ小学生だったけど、あの前後で、家にテレビのある家庭、というのが増えた感覚だったからだ。
よく「皇太子(現天皇)ご成婚」で普及した、なんて意見もたまに見るのだが、それは普及ではなく、家庭にテレビのある家が出始めた、ということではなかったか。
オリムピック以前は、友達の家にテレビを見にいく、なんてのはけっこうあったように思う。
うちは母が新しモノ好きということもあって、かなり早い時期にテレビがあったらしくて、幼い頃友人が、連続活劇や大相撲なんかを見に来ていた記憶がぼんやりとあるからだ。
従って、テレビが家に来た頃、という劇的な瞬間はまったく覚えていない。
神戸にいたときも、東京にいたときも、同年齢、同学年の友人に聞いても、たいていテレビが来たときのことを覚えていたが、母によるとワタクシが2歳のとき、皇太子ご成婚以前にテレビが来ていたらしいので、まったく覚えていないわけだ。
したがってテレビの思い出というと、カラー放送になって、カラー受像器が来たときの方がインパクトが大きかった。
ジャングル大帝』と『リボンの騎士』が始まったときのインパクトは今でも覚えている。
あの頃はまさにテレビが魔法の箱に見えた。
ワタクシの同世代だと、テレビによって格闘技の世界にはまっていった人も多くて、相撲、ブロレス、ブロボクシングというのはたいそう人気があったが、ワタクシはそれほどでもなく、むしろ子供の頃は球技の方、特にラグビーと野球の中継を楽しんでいた。
めったに中継はなかったけど、ハンドボールなんかもけっこう好きだった。今では殆ど見ないし、細かなルールも忘れてしまったけ;ど。
ラグビーで言うと、八幡製鉄黄金時代のあと、近鉄・リコーの2強時代、プロ野球だと、稲尾-野村、村山-長嶋の対決、といった時代。
テレビ放送そのものが終わるわけではないので、歴史的瞬間、というのはやや言い過ぎかな、とも思うけれど、ある種の感慨もないわけではない。近年はアニメ以外ほとんど見なくなってしまったから、というのもあるかな、ニュウスでさえCSの方が良いことの方が多い昨今だし。