火星の月の下で

日記がわり。

◇引きこもりは時代精神

昭和40年代、大学就職場面のいろんなところで「将来は営業に進みたい」という声をよく聞いた。
今だとちょっと考えられないけど、職人気質にコツコツとなにかを作っていくのは高卒の仕事、大卒は外に出ていろんな人と接して視野を広げ、自分を大きくしていく、なんてことが夢のように語られていた。
ネット情報が普通にある現在、当時の大卒、就活の学生気質を笑うのはたやすい。
しかし大学に進む、ということがさらに広い世界へと旅立つことを暗に予感させているような高度成長の時代においては、これが正義、というような時代の空気が少なからずあった。
もちろん全員が全員、というわけでもなかったが、当時はインテリはサヨクにかぶれるのがかっこいい、というような狂った風潮だったので、時代の空気と言ってもそんなに間違っていなかったと思う。
ひるがえって現在、大学を出ても就職もせずに引きこもっている、なんていうインテリ(ここでは広義に「大卒」かそれに準じる者)は大勢にこそなっていないがかなり普通に見られる現象になってきている。少なくとも「滅多にお目にかかれない珍獣」状態ではない。
あるいは就職に際して「営業だけはイヤ」という声も耳に入ってくる。
ここにいろんな意味を見ることが可能だけど、悲観的視野で見ている、というのは、以前のサヨクかぶれの「インテリ脳」を思い出してしまい、かなり気持ち悪い。
もちろん引きこもりの中にはウェブ収入でかなり良い生活になっているのもいるだろうから、全てが社会落伍者というわけでもないだろう。
だがそれでも、現象と理解する前に否定的に感じてしまう視点はかなりある。
むろん、社会現象としてのひきこもりが生み出す弊害を看過するつもりでもないけど、まず否定から入っていくという視点にはいささか疑問を感じる。
かつての花形が今では衰微の象徴、というのはいたるところに実例が転がっている。
終戦後の重厚長大産業、花形だった造船業、昭和40年代の総合商社志向、50年代のメーカー志向、平成初期の金融志向、バブル崩壊後の公務員志向を経て、今は・・・なんだろ? ナマポ志向?(笑)
しかし現在の造船業や鉄鋼業がどうなっているのか、というのを見るまでもなく、時代の中枢は思ったよりもあっさり移っていく。
それは時代精神とても例外ではない。