火星の月の下で

日記がわり。

バロックと擬古典派

まだまとまっているわけではないので、タグをつけず、随想風に。
バロック演劇というのは、今日ほとんど正嫡文学史では扱われず、せいぜい全体的傾向として語られるのみで、個々の作品に立ち入ってはあまり考えられてこなかった。
これは思うに擬古典派が押しつけた刻印を、その擬古典派が過ぎ去ってしまった後も後生大事に持ち続けていたのかな、ということを考えたりしていた。
なるほと、中欧においては三十年戦争という、近世最大にして最も凄惨な文化破壊が行われていたからでもあるが、英国とスペインにおいてはその被害が及んだわけではなく、擬古典派が武力を背景に我が世の春を謳歌していた頃にも、擬古典派などよりもはるかに優れた詩、劇、散文をものしていたのに、どうもそれが今日省みられていないことにある種の歯がゆさを感じてしまう。
この東の島国にいては、その大きな流れを肌で実感することができない。
それゆえ、玉石混交となろうとも、そのジャンルを摂取していかねばならない、と思っている昨今だけど、残された時間でどれほど読んでいけるのか、いささか絶望的な気分にもなる。
ということで、着手すべきが「石」の方にあたるかもしれないが、畏れずにやっていかねばならない、と思う今日このごろである。