火星の月の下で

日記がわり。

◇今回の大津いじめ事件の衝撃

近来まれに見る強い不快感を感じさせてくれる「いじめ事件」だった、大津・皇子山中事件。
いじめによって自殺、死者が出た、というのは、最近ではもう珍しくなくなっているので、事件の中心部分にはそれほど強い不快感があったわけではない。もちろん、死者が出たことは痛ましい悲劇であり、珍しくなくなってしまったという悲劇もあるのだけど。
問題の中枢は、この事件に対して、担任、学校側、教育委員会がまったく被害者を助けようとせずへらへら見ていただけだったということ、そして事件後、警察が遺族の訴えを受理しなかったり、人権屋がまったく動こうとしなかったということ、このあたりにあって、単にいじめがあった個人の資質や地域性とかではなく、社会のシステム全体がいじめを幇助していた、ほとんど殺人の共犯に近い位置にいた、ということなのだ。
それをふまえて、これを読むと、この事件も今後の教訓にはなりそうにないのかな、という気分にさせられる。
子ども守るには学校の協力必要 大津で研修会

井沢代表は「本気でいじめを止めようと思っている先生もいる」として、「学校は子どもの命、身体の安全を守るために万全の措置を講ずる義務を負っている。話し合いを続けて」と訴え、いじめ解決に向けた学校側への要望書の書き方などを説明。
「いじめが止められない場合は、人権擁護委員や警察、教育委員会に相談対象を広げて」と話した。

今回、その「人権擁護委員や警察、教育委員会」が事実上の共犯者だったことが問題なのに、まだこんなことを言っている、というあたりに、なにも教訓を得ていないんだな、というのがひしひしと伝わってくる。
さらに加えて、
>本気でいじめを止めようと思っている先生もいる
と言うけれど、その先生が今回どこにもいなかったこと、仮に確率的にそういう先生がいるとしても、事件が起こったときに存在しない、作用しなかったら、いないのと一緒、ということがわかっていない。
従って、

現在いじめを受けている子どもたちに対しては「大人は命をかけて守ってくれる。信じて相談してほしい」と命の尊さを訴えた。

こんなことを言っているようではまたさらに次のいじめ殺人・自殺が起きるだけ。
むしろ「教師や大人は保身に走り、いじめられている君たちの相談には絶対に守ってくれない、信じてはいけない」と言うことをしっかりと教え、もしそういう目にあえば、以前にも書いたように弁護士の元に走り、家族ぐるみで対決していく、という姿勢を示さなければいけないのではないだろうか。