火星の月の下で

日記がわり。

○東西の大学案について

一昨日くらいから相次いで東大・京大の教育改革案が出てきて、いろいろと現場は困ってるだろうなあ、と思ったのでその辺について少し。
まず東大。
推薦入試導入を検討しているらしいんだけど、もし実現すれば明治以降の日本の教育制度が根本からひっくり返りかねない出来事になる可能性を孕んでいる。
先の大戦でもっとも国内が混乱していたときでさえ、東大(当時は東帝大)だけは入試を行っていた、入試を突破しないと入学できなかった、というのがOBによって誇らしく語られることがある。
東大の権威、功績に関しては賛否両論あるところだろうけど、学力試験を受けないと入学できない(できなかった)というのは、東大だけの個性と言い得るかもしれず、それゆえにいろんな付加価値が見込まれていたわけだ。
もちろん全てを推薦入試にしよう、なんていう暴論ではなくて、とりあえず後期試験から、という話らしいので、仮に決まったとしても大半の学生が難易度の高い学力試験を突破してくる、というのは変わらない。
しかし蟻の一穴ということもあるし、一度こういうのを認めてしまうとなし崩し的になっていく、というのは、私立大学の推薦入試を見ていると明らかだろう。
だいたい推薦入試で受験生の客観的な人間力が見抜けるかというと、甚だ疑問である。
どうせそうになると推薦面接用のマニュアルが出来てしまい、学力試験での不備以上の不備が混入してくるであろうことは想像に難くない。これは受験産業にいる者としての第一感だけどね。
東大は秋入学への移行も考えていて、こちらの方は他大学との関係性さえうまく調節できれば問題は少ないと思うものの、その他大学やら高校の制度やらとかの整合性がきわめてとりにくい。
だがこちらは外面的なものだろう、入試制度の改革とはかなり趣が違う
次に京大。
こちらは一般教養を英語化すると言う。
全てか半分くらいか、についてまだ協議しているそうだが、これもけっこう大きな問題になりうる可能性がある。
まずそういう専門用語を英語で視聴していける訓練を学生が受けていないのにそういうことをやったらはたしてどうなるか、と言う点で、受験英語と学術の上で使用される英語はかなり違う。
受験英語が優秀だったから、即、学術用語の英語化にも対応できるだろう、というのは早計で、そこそこ優秀な学生が来ているはずなので最終的には対応できるかも知れないが、そこに時間やら能力的リソースやらをとられて、本来の学問が究められなくなるのでは、という懸念で、東大がやろうとしていることとはかなり方向性の違う問題がありそうだ。
京大に関しては、一般教養の精度、練度を上げることの方がはるかに重要だと思うのだが、それは学内での反発とかがあるのかな。
一般教養のぬるさ、っていうのは、京大ではときどき冗談のネタになるくらいだし。
双方の報道を見ていて思ったのは、学内に入った学生をブラッシュアップできない、というジレンマがあるように感じる。
個人的には入り口よりも出口を厳しくしていくべきなんじゃないか、と思うのだが。
卒業時に担当教官以外の専門家による複数の面接、質疑を行う(東大の場合)、英語で複数の担当教官以外が質疑する(京大の場合)・・・というようなことをした方が現実に即しているように思うのだが。
ところでふと思い出したのだが、高専から旧帝大工学部等へ転学できるシステムがあったはずなんだが、あれは考慮に入れなくてもいいのかな。
高専からの転学は学力試験があったはずなので、これとは同列には考えられないけれど、あのシステムだと上に書いた懸念はかなり払拭されるのではなかろうか。