三島由紀夫は63年の候補ファイナルに残っていた
小説家の三島由紀夫(1925〜70年)が1963年に初めてノーベル文学賞の候補になっていたことが3日、選考主体のスウェーデン・アカデミーの新資料で明らかになった。三島は「技巧的な才能」に注目され、最終選考の対象となる6人の候補まで残っており、受賞に非常に近い位置にいたことが裏付けられた。
これより先、1947年と48年に戦前の社会主義系キリスト教作家・賀川豊彦が候補として名前が挙がっていたことが既に知られていたが、新たに63年に三島由紀夫、谷崎潤一郎、川端康成らが候補に取り上げられていて、最終選考にまで残っていたことが50年後の選考資料公開により明らかになったようである。
かねてより三島、谷崎、安部公房の3人は候補に挙がっていたのではないか、とよく言われていたが、それが今回実証されたわけだ。
ちなみにこの63年度の文学賞はギリシアの詩人イオルゴス・セフェリスで、日本ではあまりなじみのない名前だが、ギリシア最初の受賞者で、今では国民的詩人。
小説家や戯曲作家のように物語が展開される作家だと翻訳等で知られる機会が多いが、詩人だとその機会が少なくなるのでいたしかたないところだろう。
一応主婦の友社の「ノーベル文学賞全集」に数編の詩が翻訳されている。
この主婦の友社の「ノーベル文学賞全集」も、こののち1968年に川端康成が日本人として初の文学賞を受賞したときに記念として過去の受賞者の代表作、あるいはその抄訳なんかを網羅したものだったが、さすがに40年以上の時が過ぎたので、その後の作家達の翻訳も望まれるところである。
この63年度のギリシアの詩人は日本ではほとんど知られていないが、その前年62年が米国のスタインベック、その次の64年が今に至るも唯一の辞退者サルトルだったりで、既に歴史的事件になっている名前がいくつか並ぶ。
このときもし受賞していれば68年の川端に先行して日本人初だったわけで、そうなるとあの自決事件なんかもなかったかも知れないし、既に日本人が受賞したからというだけの理由で川端が見送られたかもしれない。
そう考えてみるといろいろ想像がふくらむところであるな。
ただまぁ個人的な意見としては、世界文学の潮流の中で見た場合、この時代だと、川端>谷崎>安部>三島・・・かな、という気はするけれども。作品の価値という意味ではなくね。