火星の月の下で

日記がわり。

ロマン派というより国民楽派

MOSTLY CLASSICSという雑誌の「ロマン派音楽大解剖」というのが書店に並んでいたので購入して拾い読み。
オケの話題ばっかりなので、室内楽派としてはあんまり面白くねーなー、と思いつつ(ないわけではなかったけど)パラパラページをめくっていてふと思ったのだけど、ここに載せられている音楽家って大半が国民楽派だよな。
「後期ロマン派」というよくわからない概念がでてきてしまったため、どうもロマン派の境界があやふやになっている。
開始時期は細かいところで差はあれど、だいたい統一見解になっているものの、終わりの時期がまったくもって不鮮明。
極端なものになると、無調の直前まで、あるいは20世紀半ばくらいまでを後期ロマン派にしてしまっている書もある。
文学におけるロマン派が1800年を境にして前後30年くらいなので、19世紀半ばはもうリアリズムの時代に足を踏み入れている。あるいは散文の時代。
その頭で考えていると19世紀後半なんて「反ロマン主義の時代」ともとれなくもないのに、音楽においてはまさに「ロマン派の盛期」のような状況であり、いかにも不自然。
日本人と米国人は「ロマンティック」ということばに変な幻想をもっているので、ロマンティックに聞こえると全部ロマン派、みたいな解釈になっているのだろうか。
バロック→古典主義、という流れはわりと切れ目も明確で、ソナタ形式というのが一つの基準にできそうだし、歌劇では境目があやふやだけど器楽音楽においてはかなり明瞭。
古典主義→ロマン派、というのも、バロックから古典主義への流れほどには明確ではないにせよ、だいたい境目がはっきりしている。
早い時期でウィーン時代のモーツァルトあたりから、遅くても後期ベートーヴェンシューベルトあたりからのスタートで、ここでは内容に加えてパトロンの移動、というのが重要な指標になる。
つまりそれ以前の貴族や王侯、宗教階級のパトロンから、市民の援助、資金でもって成立していく音楽家という形で、ウィーン時代のモーツァルトをスタートとみる考えはこの基準による。個人的にはちょっと無理かな、とは思っているけど。
パトロンが貴族から市民へ移ったことによって、発表の場が貴族のサロンからコンサートへと移る。
その結果、室内楽から管弦楽に主軸が移っていく。
文学とも融合して交響詩が生まれる、交響曲が作曲家の判断基準になる、という流れ。
この流れは今日でもある程度続いているので、これはロマン派の変化要因と見るべきで、定義と見るべきではない、というのがワタクシの考え。
リストが交響詩を書き、シューマンが表題をつけたピアノ曲を次々と発表していく、このあたりがロマン派の盛期だったと思う。
だがそれ以降、大衆化した交響曲がじゃんじゃん生み出されていく過程はもうロマン派の音楽ではなく、資本主義とプロパガンダの時代に突入する音楽という感覚で、これこそまさに国民楽派なのだ。
技術的になり、社会的になり、経済的になっていく。
音楽の完成度は一段と上がり、規模が巨大になり、内容もより複雑、より濃密になっていく。
正直これを「国民楽派」という言い方にも少し抵抗があるのだが、それに変わる言葉がないので一応こうよんでおくが、いずれにせよブルックナードヴォルザークの時代をロマン派、あるいは後期ロマン派に分類してしまうと強烈な違和感がある。
通例、独、仏、伊の音楽を国民楽派には分類しないので、この用語は適切ではないのだけど、それでもロマン派じゃないだろう、という気が常にしていたのだ。
ロマンティックだからロマン派、みたいな感覚になってんじゃねーかなー、なんて思うことしきりでありました。
あ、雑誌そのものはうまくまとめてあってまあまあ良かった。
特に国民楽派において日陰者扱いされることが多い北欧に少しとはいえページをさいてくれていたのも嬉しかったし。(正直もうちょっと記載量がほしかったけど)