火星の月の下で

日記がわり。

○蘭領択捉島

最初の千島探検(平成15年2月号)・・・根室市の学芸史料より。
根室市の学芸史料にこんなのがあって、簡潔ながらなかなか面白かった。

最初に千島を探検したのは、1643年のオランダのフリースでした。当時はロシアもまだ千島を知らず、松前藩も未調査状態でした。

フリースは名前だけぼんやりと知っていたけど「最初の発見者」で、「スターテンライト」(オランダ国の島)と名付けて領土宣言していたとは知らなかった。
近代国際法以前なこと、択捉島を島とは認識していなったこと、発見と宣言だけして植民を行わなかったことなどから、今日ではまったく効力はないんだろうけど、歴史の中に「もしも」があれば、択捉島と得撫島が台湾のゼーランデイア城のようにオランダ領になった可能性もあったのだろうか、と想像の翼が広がっていく。
もっともオランダは英仏と違い海外軍隊に人的物的な量をさけなかったので、択捉島と得撫島を領土宣言してそれが実施されていたとしても、そんなに長くは維持できなかっただろうな、とは思うが。
オランダ海上帝国についていろいろ読んでいると、領土として維持した蘭印以外にも台湾や択捉島タスマニア、ニューアムステルダム等いろんなところに行っているのに、朝鮮半島にだけはかかわらなかった、というのがなかなか賢いなぁ、と思ってしまったり。