火星の月の下で

日記がわり。

○これからの技術

カラーテレビが初めて登場したとき、というか初めて見たとき「きれいだ」とは思ったものの、既に体験していた世界がよりリアルになってきた方向で感じたものだった。
モノクロ写真を見ていると、当時はまるで色がなかったかのような感覚に陥るほど精緻な情報がこめられている反面、それが自分のよく知っている、記憶にあった情景だと「ここはあの色で、あそこがくすんでて、このときの衣服の流行は何色で」みたいなことを感じてしまい、そこにあった差を埋めてくれるような感じだったのだ。
それゆえ、そういった機械では追いつかないだろうと思い込んでいた差が埋められていく感慨は大きかった。
当時のカラーテレビなど、今のデジタル高画質の時代からすると貧相きわまりないものだったけど、それ以前の技術との差が大きかったので、インパクトの大きさは比較にならない。
翻って今、日々刻々現われる新技術を見ても、そういうインパクトを与えてくれるものは少ない。
正確にはそんなインパクトはそうそうあるものではないし、昔だって数少なかったのだが、時間の経過がそれを記憶に刻み込んでいる。
受像器の色や画質が本物そっくり、あるいは本物以上になったとしても、技術の進歩の恩恵は感じるものの衝撃まではいかない。
こうして考えてみると、次の時代の「革新的技術」がいかなるものか、想像が難しい。
既に、日常の中で「こうあってほしい」こととの差はほとんど埋められてしまっている。
もちろんそんな革新は、そう思い込んでいる心理の隙間や、凡人の気づかないところから生まれてくるのだろうけど。
ただコンピューターや情報機器の、いつも数字(スペック)だけが一人歩きしているような商品だと、そういうインパクトにはほど遠いのかもなぁ、なんて思ってしまう今日この頃なのである。
ああ、でも新しいタッチパッド・ノートがほしい。(笑)
日本にはIT産業は無くIT利用産業も無い
この感覚が少しだけ近いのかもしれない。